見出し画像

何者にもなれなかった私が、月下に射した光に想うこと

更新が遅くなってしまいましたが、Twitterでも書いた通り、雀魂Fリーグのドラフト4巡目でLuna de Esperanza(るなすぺ)から指名をいただき、参戦が決まりました。本当に感謝の限りです。
今回は余り面識の無い方が多いこともあり、自分の人生を少しだけ振り返りながら、今回の参戦に対しての想いだったり、やっていきたいことを決意表明として記しておきたいと思います。本当にただ自分語りが続くだけの独白なので、苦手な方はすみません。



※ここまでは挨拶なので失礼の無いようにですます調ですが、本文中は言い切りになります。読みづらい構成で申し訳ないです。



記憶にある限り、物心ついてから初めて抱いた夢は物書きだったと思う。元々文章を書くのが好きだったこともあって、高校生になるくらいまではずっと朧げにそう思っていた。

思っていた形とは違ったが、社会人になると地元の編集プロダクションで実際にライターとして働く機会に巡り合えた。ただ、正直当時は嫌なことばかりで全く楽しい仕事では無かったと記憶している。雑誌という性質上、無駄な文字数を使えない中で、冗長的な文体を何度も矯正された。今振り返ってみれば至極真っ当な指摘だったが、書きたいことを書けないストレスは大きかった。

そして震災を機に旅行誌中心であった会社はそのままの事業を継続することが不可能になり、私は物書きを辞めることになる。志半ば、という感触ではなかった。先の見えない苦しい生活から突然解放されたような、正直に言えばそんな感覚だったと思う。

その後はそれまでの人生とは打って変わって趣味に時間を投じる比率が高くなる。元々自己実現を望んで物書きになった身、好きな表現が出来ずに鬱積していた創作欲を作曲や執筆、そして競技麻雀に充ててそれまで自覚が無かった自身の承認欲求と、感情とは裏腹に全くうまくいかない創作活動の間でどうにか自己を保ちながら「あるべき人生」を探す日々になる。

正直なところ、当時既に自分の才能の限界には気付いていた。どんな世界にも才能の塊のような人間はいる。麻雀にも、創作にも膨大な時間を投資することへの意義を論理的に説明出来ないことには気付きつつ、自分に折り合いをつけるまでに5年以上の歳月を要した。そして自分を騙し続けて30歳の節目を迎えた折、憑き物が落ちたように全ての趣味から手を引いて、ITエンジニアリングの道へと入っていくことになる。客観的に言えば「逃げた」ということになるのだろう。ただ、物書きを辞めた時同様、この時も「ようやく終わった」という徒労感と、拭えない虚脱感と共に「社会」へと戻っていった。

IT業界に入ってからは順調に仕事を覚え、社会人としてようやく安定してきたかな、という頃合いで仕事の関係で再び麻雀熱が再燃する。そしてプレーヤーとして再度ネット麻雀を始めてからほどなくMリーグも開幕し、もう一度プロアマのトーナメントでも出てみるか、という情熱の残り火と呼ぶべきか残滓と呼ぶべきか、僅かに胸の内に燻っていた自分の感情を再認識することになる。

何者にもなれなかった人生だった。

ずっとそんな劣等感の中で生きてきた。名が残らなくてもいい。自分が生きていたことで、世界の何かが変わったという証明がほしい。そんな意識にずっと縛られて生きていたことに気付かされた。折り合いをつけられたのではない。向き合うことをやめたんだ。区切りも無く諦めた創作活動の数々の記憶が一気に蘇ってきた。

本来人間の趣味は、他人の評価が介在するものではない。私が楽しい、私がやりたい、私が作りたいと思うということそれ自体に意味があるのだ。それをたまたま客観的に評価してくれることがあればそれは全くの偶然であり、自己実現と承認欲求は切り離されて考えられるべきものである。こんな簡単なことに気付けたのは、多くの趣味を辞めてから更に5年が経過した後のことだった。

だいぶ大回りの回り道の末に創作と麻雀の世界と戻ってきた私は、他人と競わずやりたいことをやると決めた。麻雀に関しては何をどうしたって競争にはなるのだが、少なくとも勝てないことを理由にモチベーションを落とさなければいい。

自分が楽しんでやりたいことを続けることで数多くの出会いがあるし、私がやりたいことを続ける中で、誰かに良い影響が与えられたらそれ以上にうれしいことはない。そんな気持ちで細々と色々な活動を再開した。

雀魂にのめり込んだのは、麻雀勘を取り戻してリアルの大会に再び出たい、という考えがあったからだ。関東に移住してからはほとんどフリーにも行ってない。強くなって上位の卓で打ちたい、という狙いで段位戦を打ち、同じくらいの段位の人をtwitterで見つけてはフォローして、勝手に目標にして少しずつ段位を上げる、という日々を繰り返してきた。

そんな中から今回のドラフト指名をいただくまでの経緯は正に奇跡的で、ドラフト応募後に参加したBCC杯で運良く優勝出来たのがまず一つ目の幸運だった。しかもその内容がバカヅキの先制圧倒みたいな内容ではなく、後手で降りたり押し返したり、難しい判断が必要な局面だらけで振り返る内容が多かったという点が心の底から幸運だったなと感じている。

優勝したというニュース性を最大限に活用するために詳細の内容を記事にまとめた私は、出来るだけ多くのチームリーダーに読んでもらえるようにロビー活動を行い、出来る限りの手を尽くしてドラフトを待った。

正直、「これしかない」というくらいの偶然の連続の先に今私はるなすぺの席に居る。麻雀の能力だけを切り取れば、まだまだ上が居るのは百も承知だ。それでも指名をいただいた事実は、すなわちそれ以外の活動、特に観戦記やテキストを使った広報に関しても期待をもらっている証左だと自覚している。

麻雀の打ち手としても、物書きとしても限界を感じていた私が、もしかしたら幸運な偶然が折り重なった先に「私にしか出来ないこと」を為せるかもしれない。指名された日の深夜、作業部屋から見える月を見ながら私はそんなことを考えていた。

毎日のように激怒しながらも、一生錆付かない文章力を鍛えてくれた社長の声。一人で為せることは小さくとも、多くの人間の想いが繋がった先に大いなる光を見たリーダーのゆきさんがチーム名に込めた祈り。数奇な運命の先に巡り合った大きな役目に、武者震いをしてこの原稿の筆を執った次第だ。

同じく指名されたとくらげさんや稚児さんも、それぞれのフィールドでそれぞれの個性を活かした活躍をしているメンバーだ。役に立つとまで言ってしまうのはおこがましいが、同じチームで協力することで、それぞれのフィールドにおいても良い影響があれば、それはチームメンバー冥利に尽きる。

初音プロに関しては既に未来永劫名が刻まれるレベルの実績を残しているプロではあるものの、オンラインでこの雀魂Fリーグに参戦することはまたこれまでとは違った新しい挑戦になっているのだと理解している。プレーそのものにおいても、リーグに関しての発信においても、これから先の初音プロの活躍の一助となれたらこれもまた本懐である。

そして指名してくれた月音ゆきさん本人ももちろん、未来を追って活動している一人だ。指名してくれたことへの感謝の念は、チームだったりゆきさん個人のファンが増える形で恩返ししなければ、と考えている。

なんとも冗長的な文章にはなってしまったが、私の決意は既に記した通り、いままでに培った自分のスキルを最大限活用してチームを、そしてリーグ全体を盛り上げることだ。

ここまで読んでくれた変わり者のみなさんには、雀魂Fリーグとるなすぺへの応援を期待している。るなすぺのメンバーとゆきさんの人生を変えてしまうくらいの大きなうねりを、どうかファンの皆さんと一緒に実現していきたい。

スキだけでもとても喜びますが、サポートしていただけると執筆時に私が飲むコーヒーのクオリティが上がる仕組みになっています。