ニセモノのパチプロに出来る事

「これから何をしようかなぁ?」

ふと、そんな事を考えていた3年前の夏。


後に僕のパチンコの先生になる人の話を聞いて、ぼくは衝撃を受けた。

「パチプロになるとパチンコが心底つまらなくなるし、いくら当たっても全く興奮しなくなりますよw」

彼は僕にそう言い放った。

彼の言葉通り、パチプロを始めて数カ月後、僕は一日に20万円勝とうが、月に100万円勝とうが、逆に40万円負けようが、そこまで心が動かなくなった。

そして、心底「パチンコという遊び」がつまらなくなる。


自分の心の変化に衝撃を受けた僕は「この情報を発信すればパチンコを止めたい人やギャンブル依存症の人達の役に立つんじゃないか?」そう楽観視していた。

が、すぐに事はそんな単純でない、と気づいてしまう。

まず1つの問題として、そもそも人は、そう簡単にパチンコで勝てるようにならない、ということ。勝つためのノウハウは、とてもシンプルで難しくない・・でも、ほとんどの人は勝てるようにはならない。

なぜなら、実際に勝てるようになるためには

「技術」や


「知識」よりも、


「メンタル」や


「継続できるか?」

の方がよっぽど大事だからだ。


ようは「パチンコ屋という異常な場所で自分をコントロールすること」が出来ないと勝てない。

そもそも、ギャンブル依存症の人がギャンブルをしている時に自分をコントロールできるなら「勝てる台がない時は打たないでください・・以上!」で話が終わってしまう。

それが出来ないから困っているんだという話。




それ以上に依存症の問題の本質は、そんな上っ面のテクニカルな部分ではない、ということに気付かされる。

ギャンブル依存症になった人達は、もっと心の深い所に引っかかっているものによって、「行きたくもないパチンコ屋に行かされている」ようだった。

それが間違いでないなら、例え、実際に勝てるようになっても、ただ所持金が増えるだけで「依存症」という状態からは抜け出せない。そりゃ当然だ。問題の所在が違うんだから。

そして僕は

「もはやパチプロに出来ることはない」

という当たり前の結論に至る。



■「その人らしい人生」が削られていく

「パチンコ屋に行きたくないけど行ってしまうんです」

メールで相談してくださった方がいました。

「行きたくない所に行ってる」というのは、お世辞にも「その人らしい人生」とは言えなくて、とにもかくにも凄くもったいない。

比べるものとして正確かはわからないけれど、僕も会社員時代は、毎日吐き気をもよおしながら「行きたくない職場」に行っていた人間でした。(アホだった僕をなんとか使ってくれた経営者の方々には大変失礼なんですが・・)

やっぱり、それは「自分らしい生き方」ではなかった。


昔の僕しかり、みんな、パチンコ屋に行きたいからいってるんじゃなくて【何か】によって「行かされている」。

再三言うけれど、それは本当にもったいない。

多くの人がパチンコ屋に「行かされる」ことで、精神的に追い込まれたり、莫大な時間もお金も奪われて、ただただ疲弊している。

その削られた精神エネルギーや時間、お金は本来、色々な才能を発揮させるために使えていたはず。


自分で選択できさえすれば、もっと自分らしい人生を送れるはずだ。



■ぼくに出来ることを考える

さて、パチプロという立場としては僕には何も出来ない、ということに気づいたわけで、それを踏まえて自分にできる事を考えてみる。

ぼくは人助けをしよう!とか、人をサポートしてあげよう!なんて事を思う人間ではないから、出来ることはたった1つ。


ぼくが自分らしい人生を生きること。


僕自身が「自分の人生は、自分で選択できる」事を証明し続ける事だけなんだと思い至ったわけです。

具体例を1つ上げるなら、

「もうパチプロやってる場合じゃねー」

ということw。


3年前、「パチンコを止めたい人向けに発信しよう!」と思い立ち・・

「若かりし頃、パチンコにハマってたヤツ」として発信するよりも、「パチプロ」という立ち位置から発信できたら圧倒的に面白いな(笑)という動機だけで僕は10年行っていなかったパチンコ屋に行き、同時にパチプロになった。

ゆえに僕のアイデンティティは「パチプロ」ではないし、なんならパチンコなんて大嫌いですから、ある意味「ニセモノのパチプロ」


便宜上、自分はパチプロだと名乗って来たのだけれど、他人に「パチプロなんですね」と言われても全くしっくり来てなかった。「別にパチプロじゃないけどな?」という謎のパラドックスに陥った(笑)

一応、誤解のないように言っておくと、別にパチプロが社会的な信用がないから。とか、何となく世間体が悪いからパチプロと言いたくない。とか、そんな下らない次元の話ではない・・

なんならパートナーの親戚中に「パチプロやってるよ」ということはお知らせしている。


そういうことではなく、例えば、コンビニのバイトをしてる人がいたとして、「あなたはコンビニの店員さんなんですね」と言われれば、「そうですよ」とも言える。

でも、コンビニで働いていない時間に「あなたはコンビニの店員さんですね」と言われても「え?はい、まーそうですが・・」となる。

多分、多くのコンビニのバイトをやってる人のアイデンティティは「コンビニの店員」ではない。


ぼくが確かに言えることは「いえ、私はぎんじろうです」ということ。

初対面の人に「何をしてる人ですか?」みたいなことを聞かれてると、いつも戸惑うわけですが、「自分は自分ですし、自分に出来ることなら何でもやってる人です」と答えるしかない。

単にパチンコで勝つ能力がある人。というだけの話で、極端に言えば、僕にとってパチンコもパチプロであることも本当にどうだっていいことで、僕がパチプロをやる必然性はもうこの世界にはないんだと勝手に思い至った今日このごろ。

とくかく、自分らしく生きたていたい!!!

ということだけを考えるようになった。



■適材適所に生きていく

「パチンコで勝てなくなったらどうするんですか?」

こういう事をよく聞かれたけどれ、いつも戸惑うばかりだった。

この質問は、

「あなたの会社が潰れたり、首になったらどうしますか?」

という質問と同義だ。


この質問がでてくると言うことは、その質問者は何かに縛られているんだな、と思わざるを得なかった。

人間は今の場所から移動することは困難で、「変化できないんじゃないんですか?」という心理が含まれているじゃないだろうか?

この質問の答えは、いつでも同じで「色んな事を想定しておいて、頑張る時は頑張りましょう!」というだけ。


特に今の時代は不変ではいられない。変化の速度が明らかに速い時代だと思える。長くなりすぎるので、割愛するが、今起きている現象を見れば、そう考えるのが自然。

逆に言えば、だれでも変化できる時代とも取れる。

一昔前なら、

情報格差や

身分の格差

所得格差

によって、ぼくら底辺層は変化出来ないことが多かった。


でも今は、だれでも「適材適所」で好きな場所にいられる。

と想定するなら、自分の行動は絶対に自分で選択できる。ぼく自身、「自分らしい適材適所の生き方」をこれから積極的に体現していこうと思う。


こういってしまうと、すごく崇高な目標のように聞こえるけれど、大それたことじゃなくて・・

ご飯が好きなら、ちゃんとご飯を美味しく食べられる人生。とかそんな事から始めれば良い。

本当に自分はご飯が好きなのか?パンが好きなのか?パンだったら、どんなパンが良いのか?詳細に自分を理解して、小さな所から体現できれば良いんだよな。チリも積もってなんたらかんたら。



きっと、どんな人でもその人に適した


・場所
・人
・仕事
・趣味
・生き方

があって、それは実現できるんだろう・・


人は適材適所である「べき」で、今は幸運な事に誰でも適材適所が実現できる時代なんだと信じることが出来る。

何をもって実現できると思えるのか?という具体的な話をするときりがないので割愛しますが、そういうインフラが整いつつある時代に感謝。


SNS

GAFA

AI

IoT

ブロックチェーン

(↑知らない用語があったらざっくり調べてみてください。きっとわくわくします)

色々な技術や企業体の発展が人間をより人間らしくしてくれる。

本当にぼくらは幸運だ!としか言い表せない。

人類よ、ありがとうw


ではまた


追伸:

今まで通り、パチンコはなぜ勝てないのか?とか、そいういった知識等はYoutubeを使ってこれからも発信しようと思いますので、よろしくお願いいたします!


ぎんじろう

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