片付けのマインドセット

僕はいま必死に部屋の片付けをしていて、疲れたのでこれを書き始めています。

誰だって出来れば片付けなんてしたくないですが、整理整頓したはずの部屋はいずれ乱雑さを増し、放っておくとその逸脱は耐えられないところまで行ってしまいます。

さて、まず片付けは散らばったものを収納することではありません。

片付けの基本は物を捨てることです。収納は時間さえかければ誰でもできますが、捨てるのはとても難しいことです。

結局のところ、全ては価値観の問題です。

思い出のものや、いつか使うと思われるものを捨てるのは心のハードルが高いですよね
こんまり的な断捨離方法論を採用すれば、たとえば三ヶ月使っていないものは捨てるといった数値的基準を設けることによって、心のハードルを一旦忘れさせることが出来ます。
本来は精神的負荷の高い行為を、無心で三ヶ月使っていないものをゴミ箱にぶち込む、という作業に転換できるのです。

しかしながら、こういう簡便な方法論はいずれ役に立たなくなります。深みがないからです。
もっと根本的に解決するために必要なことはなんでしょうか。
もちろん物質主義からの脱却です。

物と資本に無限の欲望を持つ、そのような現代人にとっては当たり前の精神構造に対して、少し注意する視点を加える必要があるのです。

あなたは物を所有しているつもりでも、実際には物に所有されています。もっと言えば、あなたは資本主義という個人にはあまりにも大きなシステムに所有され、隷属しています。

社会が資本主義から脱却すべきという話ではありません。
資本主義は民主主義と同じく、ありとあらゆる問題を抱えていますが、人類にとってはこれまでで最も素晴らしいシステムです。 明らかに今までなし得なかった社会の著しい発展を促しています。対して共産主義はイノベーションを阻害し、非民主的で過剰な管理社会を生み出してしまいました。何千万もの無辜の市民が粛清されたソ連は崩壊しましたが、共産主義者社会の行く末は北朝鮮の現状を見れば明らかなことです。

資本主義社会における物質主義からの脱却とは、大切なものは精神的充足であるというマインドセットです。唯心論とも言えるかもしれません。人間を人間たらしめるのは精神であり、精神や信仰や愛や友情が人間にとって最上のものであり、物質で満足することは低俗であるという話です。
愛する人がいれば、物なんて一切いらない、捨てよう。そういう話です。
こういう境地に達してしまえば、今あるものを捨てるのはやはりゴミ箱にぶち込むただの作業です。衣食住さて足りていれば、精神が充足しているなら問題ありません。悪くない考え方ですね。

どうでしょう?こんなふうに出来ますか?
唯心論的立場に立ったところで、全てを捨てられますか?

こういった唯心論的ミニマリズムもいずれ破綻します。現代社会では、まず物なんて一切いらない、捨てようというマインドセットになれないし、なっても維持できないからです。さらに、欲望を無視し続けることは非常にストレスがかかり、精神的に不健康になり、快適な住環境以前の問題になってきます。

大切なことは、 唯物論VS唯心論という二項対立を脱構築するマインドセットです。
先述のとおり、現代資本主義社会において、我々は衣食住だけで心を満たし、さまざまな欲望を断ち切ることは不可能であり、かつ不健康です。

唯物論、物質主義から完全に脱却して、唯心論的にミニマリズムを貫こうとするのではなく、物質主義と距離を取りつつ、つまり精神的充足があれば物質はいらないという基本的立場を取りつつ、自分の欲望をしっかり受け止める、大切なのはそういう不安定なバランスの状態を肯定、受容するということです。

不安定な状態を正面から受容すること。難しいですね。
人間はその自由度の高さゆえに、さまざまな不安に取り憑かれています。だからこそ、行動を規定してくれる自己啓発セミナーなんかに行ってしまうのです。
同じように、二項対立を作り、優劣を定めて、優の方に居座ることは破綻が見えている逃避です。人間は二項対立の狭間でしか生きられず、それを正面から受容してこそ精神的に楽な生き方が出来ます。

片付けに話を戻せば、「大切なのは精神的充足だから、こんなもの全部いらないよな、捨てるぞ」という気持ちと「まぁ、あってもいいか」という気持ちを大切にすることです。全てを捨てようとすると上手くいきません。
僕は片付けを再開します。皆さんも頑張りましょう。

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