新型コロナ禍の春①

1月末。なんか変な病気が中国で流行っているらしいという話が聞こえてきて、そういや10年くらい前に新型インフルが流行ったことあるよね、そうそうあんとき香港に遊びにいってて、会社にばれたらきっとすごい怒られただろうねえなんて呑気な話をしていた。次の責了が終わったら友達に会いにホーチミンに行って、オーダーメイドとマッサージ三昧だよ、とANAでチケットをおさえたところだった。別口で台北もいきたいな、いやいやもしかしてヨーロッパいけるんじゃね?と毎日のようにカレンダーをながめていた。
今年初めての飛行機は伊丹行きで、朝9時半くらいに梅田についたらちょうど薬局開店時間で、おそらく春節で来日中の人々がマスクを買っていた。横目に見ながら大好きな舞台を見て、ふらふらと寿司だのお好み焼きだのをたんまり食べて帰った。

2月に入ってもあんまり緊張感はなく、クルーズ船のニュースを見ていたのはたしか箱根の山のホテルだった。箱根は外国人観光客がガクッと減って、ああ静かでいいなあとしみじみ思っていた。
だんだん雲行きが怪しくなってきて、2月末に入っていた京都出張どうする?と何度か問い合わせしたが、そのまま決行となった。休校宣言がでた次の日、ちょうど1ヶ月後の関西はマスクなんて一枚も売ってなかったが、打ち合わせでマスクをしている人はおらず、あわてて外したのを覚えている。楽しみにしていた舞台が中止となり、まあ4月には大丈夫だろうと福岡公演のチケットと旅の手配をした。

3月、ホーチミンどうしようかなあと毎日のように悩んでいたが、友人からは来ちゃったほうが安全だよなどと言われて、1週間前までは行く気満々だった。ANAが無料払い戻しを開始したところでちょっとどうなんだろう?と思い始め、ついに名古屋便が入国拒否でそのまま帰されたというニュースが出たので泣く泣く取り消した。くやしいので沖縄行きを手配したところ、エアと某リゾートホテル2泊で5万を切るという異常事態だった。ヒステリックになった東京にいるよりも、暖かくて換気のよい場所でのんびりしたほうがいいだろうという判断だった。羽田はがらがらだったが減便のせいで那覇便はそこそこ混んでいた。老人ばっかりだった。友人との会合はいくつか飛ばしたものの、2人でのご飯は変わらず行っていた。
3月末の京都出張の日にちがずれ、ちょいとあやしいかな?と思ったが、リスケした打ち合わせはしっかり行われた。前入りして高台寺のライトアップを見て、ひとりで割烹でおいしいものをたっぷり食べた。結果としてこれが現時点で最後の夜の外食となってしまったが、最後のそれがとてもおいしかったこと、人のいない京都の夜がとても美しかったことは心の支えとなっている。帰りの新幹線のホームのキオスクにマスクはひとり1個までという掲示があり、もしかしたらと思って棚を確認したら、5枚セットが買えた。

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