見出し画像

「金融財政政策雑感」no.8

エンタイトルメント・支出とエンタイトルメント・バブル
・ハーバード大学の経済学者であるカーメン・M・ラインハートとケネス・ロゴフは、かつて、彼らの研究成果として、国内総生産に対する債務総額の比率が90%を超えた国は衰退への転換点を迎えると言及した。*  つまり、この辺りが、発展から衰退への分水嶺であるとした。これを基準とすればの話であるが、日本は、国家債務だけで、現時点で、200%を超えているわけだから、まさに衰退から(何を意味するかは分からないが)奈落の底へと加速的に没落しつつあると言わなければならない。日本はかなり以前から途上国化しつつあると言われてきたし、様々なプロジェクトの蓋を開けてみれば、ここは途上国か、といった嘆きが巷を席巻しているのは、この経験知の認知化であろうか。
 *  Carmen Reinhart and Kenneth Rogoff, This Time IS Different, Princeton
         University, 2009.
・ 現代福祉国家は、いわゆるエンタイトルメント国家とも言われている。エンタイトルメント(entitlement)とは、国家財政的には、次の事を意味する。国民に対して状況に対応して保証されている政府支出であり、政府のインフラ支出のような裁量的支出のように容易に削減することはできない。このエンタイトルメント支出は、先進国では、教育、社会福祉、保健医療、など多様なプログラムと結合して、増大の一途をたどっている。現代福祉国家は給付金交付国家へと変貌を遂げている。エンタイトルメント・バブルとも言われる。政治的な民主主義制度を維持しながら、この支出を適正化していくことは、極めて困難であると指摘されている。それは、この政治制度の下で、経済成長率の範囲内にこの支出の伸び率を抑えていくことの困難性を意味する。これを達成している先進国は恐らく例外的であるだろう。もちろん、エンタイトルメント支出も財政乗数効果は存在する。問題は、この支出の側にも経済成長率の側にも存在するであろう。先進国の高齢化の進行のように、生産年齢人口に対する(高齢)従属的人口の比率が上昇すれば、一般的には、エンタイトルメント支出の伸び率は上昇し、他方、経済成長率には抑制的に作用する。この二つの伸び率の交差の右側に存在する経済がエンタイトルメント・バブルの経済ということになる。しかし、右側の経済を妥当とする国民が多数であれば、上記の基準に従えばの話であるが、当該国家は衰退を辿るということである。いずれが避けられないとみるか。楽観主義は、(高齢)従属的人口比率の上昇は必ずしも経済成長率を抑制しないし、エンタイトルメント支出の伸び率を上回ることは、技術進歩によって可能であるとみる。悲観主義は、それを可能とする技術進歩は、さらなる従属人口比率を高めて、より右側へと当該経済を押しやり、やがて破綻の崖っぷちに向かうとみる。常に、国家衰退は、内的要因である。新自由主義からの転換と成長と分配の好循環は、エンタイトルメント・バブルと支出の適正化に繋がるであろうか。問題提起としたいのは、筆者だけであろうか。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?