「時空を旅する」no.12
白鳥が川面に迎え 川流し小舟が留まる白壁の街
詠み人 白鳥修平
鎮魂の街は悲しき ぬけがらが彷徨い歩く白壁の道
詠み人 白鳥修平
つながりがひとつひとつと消えてゆく 白壁道は 鎮魂通り
詠み人 白鳥修平
2024年4月下旬、随分遅くまで残った桜も散りすっかり春らしくなった。つかの間の春が過ぎ去ろうとしていた。ひさかたぶりに岡山県倉敷を訪ねた。筆者にとっての倉敷は、魂を鎮めるための街であった。人にはそのような街が一つはあるのではないか。折しも、修学旅行生の集団と遭遇した。
昨年の同じ頃、年来の畏友F氏が訪ねてきた。F氏は岡山市在住。また鷲羽山に登りたいと言ったら笑われた。筆者も自称登山家であるが、京都の愛宕山に登り愛宕神社にも参拝されたようだ。健脚ぶりは一緒に歩いているとすぐに分かった。
いまだに水島臨海工業地帯を鷲羽山から見渡した夜景の記憶が忘れられない。この頃、岡山県の転換期雇用動向の調査研究をグループで行っていた。その関係で、倉敷はよく訪ねた街の一つとなった。その間に、様々な人生の一コマ一コマが過ぎ去っていった。ともあれ、筆者には鷲羽山は記憶に残る山となった。
閑談に過ぎないが、滋賀県長浜市の黒壁の街も惹きつけられた街である。
いまや、低山ハイカーを自認している。
後日談。この訪問の収穫の一つは、大原美術館で何十年ぶりかに、
岸田劉生の「麗子像」に出会ったことである。やはり、画集ではなく本物には改めて迫力を感じた。
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