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僕がノート屋をはじめたワケ 1

家庭の事情で一緒に過ごすことが少なかった父は口数も少なく、気持ちを言葉にすることが不得意な人でした。

僕は早くに家を出て、若くして起業しましたが、どこかで父はいないものと思っていました。

仕事が順調に回りだした頃、「悪性リンパ腫」という命に関わる病気を患ったのです。
疎遠とはいえ「ご家族を呼んでください。」というその告知の場面にさえ父は現れませんでした。正直「こんなものか」と僕は悲しいというより、親子関係を諦めました。

ところがその僕の入院中、父が突然亡くなってしまったのです。脳内出血でした。いつもの通り、床について翌朝には意識がなかったそうです。

父の部屋で遺品の整理をしていたら、父の日記帳というか雑記帳をみつけました。そこには僕の知らない父の姿がありました。

そしてその最後の数ページには
「今日から点滴始まる」
「電話の声は元気そうだった。」・・・、
僕の入院の様子が毎日のように書かれていました。

淡々と記録のような文章でしたが、父の心は十分に伝わってきました。
「僕は父に愛されていなかったわけではなかった。
 父は心配で見舞いに来ることさえできなかったのだ。」

父が亡くなって15年が過ぎた今もあのノートを想い浮かべるだけで幸せな気持ちになることができます。
ただ日々を綴るだけでも書き残した言葉がいつか誰かを励まし、支えになるのだと気付きました。

言葉で伝えることができれば手っ取り早いかもしれません。しかし多くの人にとって面と向かってその想いのすべてを言葉にするのは難しいことです。

そして受け取る側にも時期があるのだと思います。
若い頃には理解できなかったことが、ある年齢になって急に腑に落ちることがあります。

また誰かのためでなくても自分の書いた言葉に自分自身が励まされる日があります。

僕は創業時、アイデアを一生懸命ノートに書いていました。
それを見返すと20年前の若き日の自分がいます。人脈も経験も知識もお金もなかった僕はそれでも自分の未来をまっすぐに信じていました。

そのことが今の僕を励ましてくれます。あれから30年が過ぎた今の僕が何を恐れることがあるだろうか、と。

今の悲しみや悔しさ、悩み、怒り、ノートはそれを静かに受け止め、美しい思い出に変えてくれる。ノートは特別な文具だと思います。

rogoファビコン

手製本美しいノート lleno

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