フン詰まりをおこしたフンコロガシの諸行無常。

フン詰まりをおこしたフンコロガシの諸行無常。

世間には愉快/不愉快なことがあって、しかし割合は均等ではなく、楽観的に皮算用しても、不愉快の方が明らかに大きい。

私の場合はだいたい、音楽を聴くうちに頭が馬鹿になってしまって、愉快も不愉快も有耶無耶にするのがルーチンなのだけれど、形而下的にはなんにも好転していないから、これはこれで考えものである。

そうしていると時たま、有耶無耶にしきれず、なにか糞詰まりをおこした糞コロガシ、みたいな救いようのない気持になることもあり、そんなときはこうして糞みたいな気持を転がし丸め、なにか一つの文章を捏ち上げて、気分を紛らわすことにしている。

それって相変わらず、なんにも好転していないが?

ところで貴方は、枯れた椿を見たことがあるだろうか。枯れた椿は悲惨だ。地面にこびりつき、汚く腐るほかない。盛者必衰。平家の家紋はアゲハチョウだったか、蝶よ華よと愛でられても、生命の旬を過ぎ、死骸と化せば誰も視界にはいれたがらない。

そういう諸行無常も、琵琶法師やら誰やらに物語らせれば文芸になるけれど、しかし現実はアゲハの幼虫の卑猥な触角、みたいな自分語りが氾濫、その有り様がむしろ諸行無常である。しかしそれは、高度に暗号化されたチン凸/突であるから、突撃は不可避。私もそうだ。人間は皆、肥大化した自意識の督戦隊を心に飼っていて、退けばすなわち死、なのである。嗚呼、自分でもよく分からなくなってきた。

まあとかく人間とは、そうやってフグリを転がしたり、喰ったり寝たりで万事快調?そうでない人間は、どうすりゃいいのだ。

それが一等、諸行無常かもしれない。

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