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分岐点だったかも

突然降って湧いて、バタバタっとして、それであっという間に終わった。
社長の自宅売却の一件でした。

過ぎて仕舞えばあっという間の出来事でしたがその後も落ち着くことはなく
バタバタは続いたのでした。
社長の自宅売却の件があまりに突然でしかもスピード決着。
事務所及び倉庫移転という肝心の事が後手に回ってしまったのです。

これがすったもんだ揉めました。

自宅を売却するという事は会社の機能を他所に移転させなければならい。
そんな事は分かっていたはずですがすっかり抜け落ちていた。
仕事も忙しい上にトラブル続きの不動産売買、、、
僕の脳みそは完全にキャパを超えてたはずなのです。

不動産の引き渡しまでの猶予は3ヶ月程。
あの時はホントに焦りました。
。。。。。。。。。。。。。。

さて会社の移転です。
この時僕の頭の中では一気に都心部に移転したい。
港区とか千代田区とか渋谷とか、、、銀座とか。
今しかないと思っていたのです。

あり体に言えばブランドイメージを高めたかった、、、
でもきっと自分自身の大きな見栄も同じくらい強くあったはずです。
しかし、その考えに社長も同調してくれたのですが、会計士の先生が難色を
示したのでした。
何故か?
まず都心部の家賃が高いこと、それに倉庫を他に借りなければいけない事を
考えれば事務所と倉庫を出来るだけ近くに構えるべきだ。
業務効率と新たに発生する大きな固定費の問題を理由に難色を示した訳です。
顧問会計士としては至極当然です。
それに加えて、ずっと働いている2人のパートさんも難色を示したのです。
自宅近くだから働けていた、、、と。

全てが僕の思い通りに進まなくなった、、、。
とにかく八方塞がりでした。

しかし世の中成るようになるものです。

状況は一転しました。

まず倉庫の問題が解決しました。
それまで配送業務を任せていた○○急便からロジスティックサービスを
提案されて導入する事に、、、それで倉庫の問題は一気に解決したのです。

そうこうしているうちに新たな事務所も見つかりました。

港区六本木近くに位置する落ち着いた街に雰囲気の良いビンテージの建物です。
確か5階建、その2階に事務所を開設できたのです。
(偶にその建物の前を通りますが、今も変わらず素敵な佇まいのままです)

これは本当に奇跡的だった。

更に、、、“暫く通ってみます”
事務の流れを一番理解しているパートさんも継続して働いてくれることになり、
また今まで“倉庫番同然”だった営業の男性スタッフも今度こそ営業として働いて
くれる事となってようやく一件落着。

流れというのは実に不思議なものです。

そうして“当時の我が社”は、都心の一等地にOfficeを構え、全国に500以上もの
販売網を持つ、年商数十億という美容商材の会社にを変えたのでした。

社長の自宅売却が発端で、何かが動き出した、、、
今思い返しても、ここまでの流れは実に良かったと確信しています。

でもここから先が拙かった。

傲慢経営の始まり


おそらく、その時点で僕は社長になった気になっていたと思います。
勘違いと独りよがりで何事も進めるようになった。

例えば、既に会社の金庫を預けられていたも同然だったとはいえ、その使い道は
一々社長にお伺いを立て、事が大きければ顧問会計士も交えての事前決済をして
進めていたのです。
その位の謙虚さは持っていました。

それがそうでは無くなった。

自分のプランを強引に、有無を言わせぬ理屈を立てて押し通す、、、。

“独りよがりも甚だしい”

そんな自分勝手で傲慢な状態に陥っていたのです。

失敗と成功の分岐点

そんな分岐点があるとすれば、この時がそうだった。
もう少し頭を使っていれば、、、
視野を広め、協調性を持ってじっくりと焦らずに進めていれば、、、
せめて、自分の欲など後回しに考えてさえいれたら、、、

今更にして思うのです。
後悔は先に立たないのだと😎

続く







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