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セレンディピティ

「視点」というものが違うと、会話がズレます。会話がずれるということは想像しているイメージがずれるということです。

僕は、インターネットもスマホも肯定します。身体に悪影響なものだけをはやく解決したり防いだりすればいいのです。

インターネットは、頭を悪くしてしまう。考える力を奪ってしまう、とそういう話をよく見かけます。

僕はインターネットを「辞書」や「図鑑」と考えています。

問題だと思う人はいわゆる「テレビ」とか「ゲーム」と考えているのでしょう。

視点が違うだけで、簡単に物事は良くなったり悪くなったりします。
自由に視点の角度を変えられないと、人のイメージは固定されて思考がせまくなります。

思考が狭いとイメージが限られて、行動も限られて、結果、未来も限られてしまいます。

「いわゆるテレビ」と書いたのは、一方通行の情報を、受動的に信じてしまうもの、という意味で、テレビが悪いとは思っていません。

僕自身がテレビっ子で、ゲームっ子であり、それらに大きな感性を与えられたと思っています。
僕にとってはテレビも「図鑑」です。

好奇心という、大切な感性のはじまりを忘れてしまわないように、否定しないように。

どんなところにだって可能性があります。セレンディピティは、可能性の肯定がなければ起きないのですから。


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