自分とはなんでしょうか。
自分のやっている講座や、またはメンターとして「自分とはなんでしょうか」と聞かれたら、僕は、他人ではないものです、と答えます。
「どうやれば、自分らしくなれますか」と問われたら、何も決めないことです、と答えます。
もちろんその方の状況にもよりますけど、たぶん。
あまりにばかばかしい回答ではありますけど、シンプルに伝えればそうなります。自分とは「他人の要素ができる限り外れたもの」であり、「決めようとしないでも自然と進んでいく方向」がもっとも自分らしい行動です。
人が「何かになりたい」「なにかをしたい(成し遂げたい)」と考えることには、2つの方向性があります。
それは、好奇心か執着心のどちらかかな、と思います。もっと他にいい言葉があるのかもしれません。
好奇心は憧れ、ワクワクして、それを追いかけることが楽しくて仕方がありません。執着心は、それがいま手元に無いことが不安で、満たされず、追いかけます。
この2つは、実は同じものを指しています。
いまここにないから、手に入れることを楽しめるのか。
いまここにないから、手に入れるまで、満たされないのか。
おそらくですが、
楽しめる人というのは、指している物事の「その先」にはなにがあるか、を考えています。具体的になにかを求めているのでなく「決めない」で進んでいます。
満たされない人は、指している「そのもの」だけに目が奪われています。それを得た頃には、次の何かがまた現れていつまでも同じことをするでしょう。
自分らしさは、形がないからこそ、ずっと追い求めることができるんだと思います。それは探求や冒険と似ています。
まだ見ぬものを追いかけているあいだ、それは常に自分であり他人ではないはずです。
具体的に掴みやすいものというのは、わかりやすい姿形をしているけれど、それは誰かが見せてくれている他人の結果です。それを追いかけることが目的になってしまっては、他の誰かになりたいのと同じことです。
でも結果的には自分らしい場所にたどり着けば、それでいいんだと思いますけれど、ものを見る視点さえ変われば、いまこの瞬間から、ひとは誰でも自分らしく、常に自分自身である、と。
それが、心地よい過ごし方なのではないかなと思います。
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