月を見る(言葉を持たず)

地平線に近い所に月が出ていた。
あの月は、空にペタっと貼られたものではなく、宇宙空間に浮かんでるものなんだな……と思ったら、なんだか不思議な気分になった。
僕たちは、あの月が何かを知ってる。岩と砂でできた地球の衛星だと知ってる。
でも、昔の人はそれを知らなかった。
古代人は、さぞかしあの月が不思議だったろう。
あれはいったい何なんだ? なぜあそこで光ってるんだ?

動物は、あの月を見て、どう思っているだろうか。
意識的に月の光を見て、「あれ何かなぁ?」とか思ってるのだろうか。
動物が理性を持っていないのなら、おそらく、「月」として認識していないだろう。「空に浮かぶ何か」としても認識していないだろう。そこに光があることは感知しているだろうけど、ただそれだけだろう。仮に、その光が自分に迫ってきたり、素早く動いたりすれば、動物にとって警戒すべき対象になるけど、月はただ光っているだけだから環境の一部に溶け込んで、区別できないだろう。

人類も、サルの頃は何も思っていなかったはず。
でも、脳が発達して、いろいろ意識的にものを見ることができるようになったある日、ふと、月を見て思う。それまで、環境の一部として意識すらしていなかったけれど、ふと、「あれは何だろう」と月を見つめる。ふと、疑問に思う。
人類のうちで最初に月をそんな風に見た人は、さぞかし不思議だったろう。
今まで何も疑問に思っていなかったものが、疑問の対象、未知のものになる。自分がこの世界のことを何も分かっていないということに気づいたりするかもしれない。
おそらく、原始人は、周囲の人に「光、何?」と月を指さしながら言う。聞かれた方も、「言われてみれば確かに、あれ何だろう」と思うようになる。そして、あれこれ仮定してみる。人間の、虚構をイメージする力はそんなところから始まったのかもしれない。

ときどき、犬が月をじっと見ているような時がある。そんな時、僕は犬が何を思っているのか知りたくなる。
彼らは言葉を持たないから、言葉を介して思考しない。だから、「あれは何だろう」と明確に疑問に思ったりはしないだろう。
でも、そこに光があって、その光は環境を構成するその他のものとは違う何かであって、周囲が暗くなる(夜になる)とその光が現れる……ということは意識しているかもしれない。
そして、月に吠えてみる。その光が反応するかを見るために、吠えてみる。
言葉が機能していない状態にいるだけで、人間よりは遥かに下等に見える動物たちだけど、もしかしたらそこには言葉があるかないかの差しかないのかもしれない。

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