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デザイナーはいつデザイン思考を身につけるのか

デザイン思考は、「デザイナーの思考プロセスを元にした思考法」みたいな言葉で説明されることがよくあります。

ここで言うデザイナーって誰やねん、と思うことがありまして。

デザイナーってすごい千差万別いますけど、みんなデザイン思考で動いてるの?そうなの?そうだとして、デザイン思考をいつ身につけてるの?デザイナーになる前?それともデザイナーになった数年後?っていうかオレはデザイン思考してるの?

などとまぁ、ぐるぐると思うわけです。

というわけで、「自分はデザイン思考してるんだろか。いつ身につけたんだろか」を考えてみました。


デザイン思考とは

はい。ええと。これ答え出ないやつなんで「私はこう解釈してる」という目線で語らせてもらいます。
デザイン思考とは「発散と収束を繰り返すこと」「主観と客観の両面から考えること」の2点だと考えています。

発散と収束

いわゆるダブルダイヤモンドみたいなやつです。
たくさんアイデア出してから、適切なものを絞り込む。複数人のいろんな実態を観察して、その中から見つめるべき点を抽出する。
そういうやつ。
これをデザイン思考の一つめの軸だと思ってます。

主観と客観

デザイン思考の核はユーザ中心目線である、と言われることよくあって、それに対して特に異論はないのだけど、必ずしもそうでも無いよな、と思ってます。
例えば時計の中の歯車をデザインするとして、多分そこにエンドユーザ目線は入って来ないのだけど、でもデザイン思考ではあると思うのですよ。

デザイナー自身の「コレはこうあるべき」という主観を元にしつつ、ユーザとか素材とか流通とか法律とかいろんな客観的要素を取り入れて形にしていくのがデザイン思考の二つめの軸だと思ってます。

他にもありそうなのだけど

他にも「具象と抽象を行き来すること」「帰納、演繹、アブダクション」みたいな要素がある気がするのですが、ちょっとまとまらなかったのでひとまず「デザイン思考とは『発散と収束』と『主観と客観』を行き来する思考・行動様態である」と言い切ります。(まさかり投げないでね)

大学で身につけてたな

最近母校である大学のデザイン科と絡む機会が多くありまして、そこからいろいろ振り返ったのですが、『発散と収束』は学部の1〜3年次で、『主観と客観』は4年次および院の2年間で身につけてたな、と気づきました。

学部1〜3年次で「発散と収束」

大学入って序盤は、とにかくたくさん案を出すことと手を動かして描くことを要求されました。
掃除機を50個デザインしろとか、モビリティを100個デザインしろとか、そういう課題がたくさん出されます。
これがなかなかしんどいというか、単純にネタ切れを起こすのですが、ある時期から「一つのお題をいくつかのキーワードに派生させるとネタ出し易いな」と気づきます。
例えば「掃除機を50個デザインする」として、「超小型」「装着型」「空間一体型」「全自動」「めちゃくちゃ素早い」「大型施設向け」… のように、派生キーワードを10〜20くらい書き出します。そうするとキーワード一つあたり2〜3案出せば良いので、ネタ切れしなくなります。

やたらとたくさん描かかされるのは1年次までで、2年次以降は一つの課題に対してアウトプットは一つで良いのですが、その時点ですでに複数案だすことが習慣づいてます。

そして3年次あたりでは、何かお題があれば「とりあえず10個くらいキーワード出して、それらのキーワードでネット検索していろいろ情報得ながら頭の中でラフに30案くらい出して、そのうちの3案くらいを紙の上に描いて、うち1案を仕上げる」という我流のデザインフレームワークができてました。

そんな感じで3年かけて、発散と収束を軸にした思考(行動)パターンができたわけです。

学部4年から院の2年で「主観と客観」

大学の終盤になると、それまで「制作」メインだった課題が「研究」メインへとスライドしていきます。卒業論文とか修士論文とかですね。

それまではひたすら「面白いアイデアを出してカッコよくアウトプットする」を重視してたのですが、段々とアウトプットに対して「そのテーマの社会的意義は何だ」「印象評価やユーザビリティテストをした結果はどうだ」「結果は統計学的に有意か」といったことを問われるようになります。

自分の目線での良し悪しの判断だけでなく、他人や社会からの目線での判断が行動軸に入ってきて、院を出る頃にはそれが当然のこととなっていました。

すごいじゃん大学

割と最近まで、自分が在学中に行ったことは「表現技術を(我流で)身につけた」だと思っていて、大学はそのためのお題を提示してくれただけの存在だと思っていたのですが、いろいろ思い返して「大学のおかげでデザイン思考を身に付いた」「大学が自分をデザイナーに仕立て上げてくれた」と、ようやく気づいたわけです。

恩知らずぶりがすごいな自分。

デザイナーになりたい人、デザイン思考を身に付けたい人は、なんだかんだ大学のデザイン学科入るのが一番近道ですよ、とか思うわけです。今は。

じゃあ、全人類がデザイナーというわけではないのか

私は、「あらゆるモノづくり、コトづくりがデザインであり、それはつまりあらゆる業務や、ちょっとした生活の工夫なんかもデザインであり、なのであらゆる人間がデザイナーなのである」という価値観をもっていたのですが、しかし「大学が自分をデザイナーにしてくれた」のだとすれば、大学以前の自分はデザイナーではなかったわけで、じゃあ全人類がデザイナーってわけではないのか、とかそんな感じに今、大きめに価値観が揺らいでたりします。

話が人類の話になってきたのでこのへんでこの記事は終わりにします。
(人類とか宇宙とかいう単語が出始めると収集つかなくなるのです。)

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