時間の使い方

 ニュース番組というのは時間が限られていて、日々数えきれない出来事の中から放送するものを選ぶのだと思っている。

 このようなテレビ番組において、そのときそのときで世間でも話題になる社会問題を取り上げると思うのだが、こういう場面をちょくちょく見る。


(日中の雑踏でのレポート わざと落着きなく早足で歩きながらにこやかに)
いま世間の注目を集めている、カレーの呼称についてインタビューしてみたいと思います。世間は『カレーライス』あるいは『ライスカレー』、いったいどちらを支持するのでしょうか。巷の声を、聞いてきました! どうぞ!

あっ、カレーですか? カレーライスです。いや、理由とかない、、、ですけど(笑

カレーライスですよね。ほら、あの店だって「カレーライス」って書いてましたよ(カメラが寄り、確かにカレーライスだとテロップを入れる)

カレーはカレーだよ。ライスはつくけどね。強いて言えばカレーライスかなぁ。

(ナレーションの声)
一方でこんな意見も

はい。ライスカレー派です。だってカッコいいじゃないですか。レトロっぽいし。

ぜったいライスカレーですね。子供の時からそうやって教わったので。カレーライス? いやいや、親に殴られますよ。え? 映ります、これ? ヤバいなぁ(笑

(スタジオから)
一概にどっちとは決められないみたいですね。それぞれのこだわりが見えた取材でした。……つぎの話題です。


 カレーライスとライスカレーのどちらがいいのか、わざわざ道ゆく人にきく必要あるのやろか、とわたしなんかは思うのであるよ。そんなものを本気で知りたいのであれば、手垢のついた手法としてツイッターのデータ抜いてきてちゃっと統計取ればよいのであって、そんな手法でなくともいろんなやりかたがあるだろうに。その方が世間にダダ漏れている本音を知ることができるし、そもそもSNSってその手のトレンドを見るためにあるんじゃないかと思う。そこにあえてテレビカメラとマイクを介在させる意味は、なんだろう。


 カレーライスとライスカレーならまだ娯楽性があるのでおもしろおかしく仕立てるのもええやろな、と思う。
 そうでない、もっと切実な話題であってもニュース番組は同じ手法で同じことをやっているように見える。そして難しい顔をして「いったい何が」とか言うのである。それは見てるこっちのセリフやろ。あんたら一体何がしたいねん。一体何ができてんねん。

 あらゆる話題で「ある異変が」「いったい何が」で本題に入ろうとせず、話が始まったかと思うと「専門家は」という言葉とともにどこかの誰かが喋る数秒の一般論だけを継いで時間が過ぎる。ニュース番組ってこんなだったかな?と思う。

 もとになるデータや仕組み、ルール、法律、サイエンスに遡って意見を組み上げることができなくなっている。おそらく「それは視聴者が望んでいない」あるいは「ニュースとしてわかりやすさに欠ける」という理由で。だとすると、それは視聴者をみくびってるんじゃないかと思う。

「わかりやすい」って何? テレビ番組の話とはまた違うけれども、大学の授業に関する宮台真司の意見を拾ってみる。もはや時間の使い方の話になっていない。笑うところである。

わかりやすさによる評判を重視して喋る内容や抽象水準を落とし、聞く側の当たり前さをできるだけ破らないようにする、みたいになればそれは授業の質の低下ですよね。
……(中略)……
価値観あるいは価値を貫徹するっていう規範的な構えが大事だということなんですね。
……(中略)……
「生徒の評判が良い授業は質の良い授業」、ここで思考停止ですよね。頓馬そのものでしょ。

宮台真司

この点において、宮台真司は妥当なことを言っているように思える(その他の観点がどうかは知らないけど)。 

すでにある自分の視野や語彙の範囲内で自らの価値観を確認する程度のわかりやすさしか求めていないとすれば、それはたしかに頓馬だ。

あははん。
静かやから笑うといた。