見出し画像

二刀流考

最初にお詫び申し上げます。
“二刀流”とのタイトルをパッとご覧になって、「おっ!大谷翔平選手の話題か!?」と期待して当noteをクリックして下さった方へ。
ごめんなさい🙏
大谷翔平選手のことではないんです。
私、プロ野球もメジャーリーグも高校野球も観戦するのは大好きなんですが、野球について語るのは恐縮すぎる、ただの野球好きな天理教の教会長です。

作者 拝

今回はいろんな「お道の“二刀流”」を真剣に、時には面白おかしく考えてみたいと思いますよ。

①教会長×○○

小学生の頃、高学年になるとクラス担任以外に専科の先生が授業を担当していました。その中に理科の先生がいらっしゃったんですが、その先生は、ご実家がけっこう大きな神社さん。
「神社の神主さん×教職員」でしたよ。

また、とあるSNSで知り合った方から伺った話しで、「昔、大好きな担任の先生がいたんだけど、ある時『先生のおウチに遊びに行こう』てなって行ってみると、大勢の人たちが黒い着物を着て、太鼓や三味線とかいろんな楽器を演奏しながら踊ってたのよ。あとで知ったんだけど、先生のおウチって天理教の教会だったの」とのこと。
「教会長(後継者)×教職員」ですね。

また遠方にお住まいの私共の教会所属の信者さん。普段は近所にある教会に参拝に行っておられます。祭典日にもその教会に参拝に行かれるそうですが、時々祭主を勤めるべき会長さんが不在。なぜなのか伺うと、「今日はどうしても小学校を休めなかったのよね」と奥さん。
そう、「教会長×教職員」なんですね。

こういった“二刀流”はよく聞く話しですよね。
私は教会長ですが、実はもう一方で企業に属する会社員でもあるんですよ。
「教会長×サラリーマン」なわけです。

他にも「本職×個人事業主」とか「ネットで副業」とか「自営業×投資家」などなど、スタイルは様々なるも、今や“二刀流”は当たり前田のクラッカー(古っ)ですね。
『二足の草鞋』はもう死語ですか?大谷翔平選手のお陰で“二刀流”のワードがすっかり定着し、しかもそれを是とする世相です。

いつの頃からかお道に根強く蔓延る“事情働き”ていうワード、そろそろやめませんか?
私自身がそうだから、という訳ではありませんが、やっぱり古い価値観だと思います、“事情働き”ていうワード。負のイメージしかないし。

ある時、40歳代で親の後を継いで教会長になることが決まった男性からこんな相談を受けました。
「来年、教会長になるんだけど、今まで続けてきた会社は退職した方がいいんかなぁ」て。
私は即答しました。
「辞めなくてええやん。両立が可能なら辞める必要なんかないよ。」と。
彼の会社の社長さんは、これから先の彼の“二刀流”を快諾してくれたそうですよ。
よかったネ。

あ、そうそう、『みちのとも』本年(2023年)2月号の34〜35ページに掲載された永尾教昭先生のお話し、私は大賛成ですよ。
よかったら皆さんも読んでみてください。
活字にするのが面倒なので画像を貼り付けますね。

「みちのとも」立教186年2月号 ー前半ー
「みちのとも」立教186年2月号 ー後半ー

なので、
教会長×○○=アリ‼️
教会×事業=アリ‼️

作者注)上記で申し上げている“二刀流”は両方の立場で対価を得ている場合です。アルバイトは含みますがボランティアや教区支部の立場は含みません。

②太鼓×すりがね

は?どういうこと?
説明しますね。

とある教会での祭典。
私は地方(ぢかた)を勤めていました。すると、途中から若い男性が神殿に入ってきて参拝し、タビを履いてハッピ姿でおつとめに参加してくれました。太鼓です。
太鼓ナシのおつとめはなんだか寂しいというか物足りないというか、そんな感覚があるので、その若い男性が太鼓を元気に勤めてくれて、私も心が弾んできましたよ。
と、また途中から、今度はテンポ良いすりがねの音が仲間入りしました。
「あ、また誰かが来てくれたね」
と何気なく振り返ると、先ほどの若い男性が、左手は太鼓のバチ、そして右手にはすりがねのバチで、なんとまぁ器用にも“二刀流”で勤めてくれてたんですね。リズムも間違わずに。
思わず吹き出しそうになりましたよ、しかし、お歌を間違ってはイカンイカン、より一層賑やかになった鳴り物の調べに合わせて、私も声高らかに勤めたんです。

また別のとある教会での祭典。
その時も私は地方を勤めていました。
正面には若い女の子が軽やかにお琴を弾いています。
お琴って、右手で弦をはじいて音を奏で、その時、左手は弦を押さえて音を調節しますね。
その若い女の子も、そんな仕草でお琴を勤めて、、、ないッ!右手は音を奏でているのですが、左手は床を押さえるというかスッスッと擦っているんです。
え!?と思い、気になりつつお歌を歌いつつ、、やっぱり気になるんです。で、私は上体を右に傾けて彼女の左の手元を見たんですね。すると、なんと、彼女は床を擦っているのではなく、スマホ画面を操作してたんですよ。
スゴイッ!
これまた危うく吹き出すところでしたよ。
アブナイアブナイ。

かく言う私、お役の手が足りない教会での祭典では、ときどき地方しながら拍子木を手に持って勤めていますよ。

リズム感が良くて、手先が器用で、そして何よりおつとめの鳴り物が身についているんですね。
この子達は、少年会おつとめ総会に小さい時からずっと参加してくれていた子達。
「僕も、ワタシも、教会に行ったらおつとめを勤めるんだ」
そんな気持ちが嬉しいですよね。

親や大人たちから習ったおつとめ。
親や大人たちがおつとめを勤める背中、ちゃんと若い人達にも映ってるんですね。
素晴らしい、自然な『縦の伝道』じゃないでしょうか。

なので、
太鼓×すりがね=アリ‼️
琴×スマホ=アリ‼️……アリ❓
地方×拍子木=アリ‼️

おやさま、ごめんなさい🙇‍♀️🙇
決して、おつとめを軽んじているわけではありませんデス

教会長さんにとっては、月に一回のおつとめを賑やかに、ニコニコと、楽しく勤めたい一心だと思いますよ。普段、朝夕お一人で拍子木を持って親神様と向き合い真剣に勤める中に、やはり一抹の寂しさはあると思うんです。せめて祭典日は賑やかなおつとめを勤めたい、そんな思いからの“鳴り物二刀流黙認(ハッピ黙認)”なのかもしれませんね。
そんな時、私も一緒になって「いやー、賑やかなおつとめでよかったねー」とただ単に舞い上がってばかりではなく、そこはキチンと「君たちが参加してくれたおつとめはね、世界平和や、お友達の病気のことや、知り合いの家庭問題や、家族の幸せや、いろんなこと全部をお守りください親神様🙏ていう気持ちをもつことが大事なんだよ」と伝えるのが肝心ですよね。

③おわりに

私自身が“二刀流”であることを、是としたい、良しとしたい、認められたい、納得したい、とフト承認欲求にかられることがあったりします。
やはり心のどこかに「教会長ひとすじに」という観念があるようです。
もの凄く悩む時があるのも事実です。

ある時、そんな悩みを大教会の前会長さんに打ち明けました。すると「にをいがけのつもりで頑張りなさいよ」と笑顔で私の背中を押してくださいました(というように私は受け取りました)。
なんだか心のモヤモヤが消し飛んだ思いでしたよ。

お仕事は『家業』
おさしづに『家業』というワードがよく出てきます。おかきさげにも『家業第一』とあります。そして、それら一つ一つの教えやお諭しの根底に流れる肝心な点は『精神一つ』、つまり神一条の心を定めること。これが自らの信仰を確かなもの、ブレないものとする要となるんですね。

形のふしんに先行する
心のふしん

三代真柱様 東西礼拝場普請に際して

とお聞かせくださる如くに、私はこれからも心をしっかりと定めて、いろんな“二刀流(多様性も然り)”の形を許容し、そして“二刀流”で邁進する覚悟ですよ。

あ、思い出した!

神一条という言葉はあるが、
道一条という言葉はない

出典 捜索中、、  

ていう内容のお話し。
いつどこでどんな状況でお聞かせいただいたか失念しましたが、確かに“おぢば”で拝聴しましたよ。(出典をご存知の方がいらっしゃいましたら是非お教えください)

以上、“二刀流考”でした。
長々とお付き合いくださり、ありがとうございました🙇

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?