年祭活動、仕上げの年へ。
私は今回のおやさま年祭は、教会長として2回目の節目となる。
そして、年祭に向かう私たちの進むべき道しるべである諭達第四号をご発布くださって、今月で丸2年です。
今の私の心境は、「このままのペースで良い」というのが正直なところ。
焦る必要なんてない。
毎日を、自分の定めた事柄に沿って、地道に地味に進めばそれで良い。
一喜一憂、紆余曲折、悲喜交々、喜怒哀楽、、、心は一瞬一瞬コロコロと移り変わるけど、軸さえブレなければ大丈夫。
私は最近つくづく大教会の活動方針がありがたい、と思えてきた。
ちょっと貼り付けますね。
明日に希望を 今日を陽気に
最初は、「聞こえが良いな」程度の認識で何気なくも、ま、心には留め置きやすいね、くらいの受け取り方だったんですね。
しかし、年祭活動(というか信仰生活)を歩み、いろんな方々と接して対話をしたり、お世話取りをしたりする中に、自然と「明日に希望を、今日を陽気に」と心がけようとする日々の態度こそ、実は大切な大切な信仰生活の“基本のキ”なんだなぁと痛感し、そして、そのようにお伝えをしている。
私自身も、この活動方針によって自らを鼓舞することもある。
もうまさに、コーポレートデザインといっても過言ではないくらいのキャッチフレーズだと思えてきてます。
ユルイようだが、実は核心なんですね、コレ。
なので、冒頭に記したように「このままのペースで良い」と感じるわけです。
昨年6月の記事タイトル、「おやさま140年祭、ぼちぼちと、ね」の通りです。
☝️の記事中には、2022年秋季大祭において、自らご諭達をお読みくださった真柱様の、一言のご挨拶を引用しています。
今なお、時々読ませてもらってます。
ご諭達を発布してくださった直後のお話しです。
改めて、次に引用しますね。
このたびの諭達を「材料として」、おやさまの年祭を勤める意味合いなどを、まだ知らない方々に伝えてほしい。そして、ともに積極的に歩んでくれるように丹精をお願いしたい、と仰せです。
なにも、ムキになって、カンカンになって、ねじり鉢巻を巻いて、足踏みを止めずに、そんなムキムキではない。コツコツと、且つ、着実な足取りで前進するのがちょうど良い感じなのかな、と私自身は捉えています。
ひと昔前までは、ムキムキバリバリな活動方針が溢れてましたよね。
今考えると、なんだか息切れしますよ。
青年会は特にゴリマッチョでしたもんね。
ところが、今の青年会の活動目標はというと、コレ👇です。
心を澄ます毎日を。
良いですねー!
大好きです。
私が青年会活動に夢中になってた頃は、もうゴリゴリのアツ苦しいフレーズがいっぱい溢れてましたもんね。
いいなぁ、令和の青年会はww
明日に希望を、今日を陽気に。
心を澄ます毎日を。
これは、いま道を歩む私たち一人ひとりの胸に向けられています。
自らの信仰姿勢。
これが基本。
身近な人、家族親族、信者さん、そんな方々に信仰の息吹が伝わるかどうかは、自らの信仰姿勢に関わっている。
ここぞという時に、みんな集まって“一斉に”にをいがけだー、ていったって、、、ね。
わかるでしょ?
いいのいいの、まずは自らの信仰姿勢の再点検をしましょうよ。
「私と親神様。私とおやさま。」
一本の弧線がピンと繋がってますか?
私は時々見失いますよ。
だけど、今のままのペースで、なるべく心は常に晴天でいられるように勇みたいと思います。
え?年祭活動、それでいいの?て。
そりゃ、私は教会長という立場もありますので、そんな自問自答も確かにあります。
そんな時に思い出す、好きな活動方針があります。
こっそりとお教えしますね。
「教祖ならどうなさるだろう」と
心する三年千日
これまた好きなフレーズ。
厳しくも優しいフレーズ。
「おやさま、おやさま」
と追い求める。
「おやさまなら、こんな時にどうなさるんだろうな、、、」と、おたすけ先や、或いは信仰の壁に立ち止まった時には教祖伝や逸話篇を手に取る。
そんな求道心を涵養できたならば、自らの信仰姿勢も正しいベクトルへと軌道修正できますよね。
もっと肩の力を抜いて、心明るく、にこにこ、いそいそ、足取り軽やかに進みましょうよ。
万事陽気に。🟣🔴
さぁ!秋季大祭やッ!
今週もお付き合いくださいまして大変ありがとうございました😊
感謝感謝。
また来週👋