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祈りは届く。

「会長さん、脳内にある、モヤモヤのような、影のような、むくんでる塊のような、それが無くなったんですッ‼️」

2023年9月16日、朝、巡教のために出向いた先の、目的地に最寄りの駅に降り立った直後にかかってきた電話に出ると、嬉しそうなご婦人さんの声が聞こえてきた。

このご婦人Mさん。
75歳。両親は、ともに明治生まれ。私共の教会に縁あって繋がり、家族で教会に入り込み、信仰を深めて、布教伝道に明け暮れ多くのよふぼくを丹精なさった、白熱的な布教師。両親とも家庭を顧みることもなく、そんな両親の姿に、Mさんを含め4人いた子供は、いくら教会で友達と楽しく過ごしても、両親が布教地に行ったっきりの寂しさ故から、長じて天理教に反発し、それぞれ独立して散り散りになった。

しかし、親の仕込みか、同じく教会に入り込んでいた方々の信仰の姿か、それが心に沁み込んでいたのか、薄く細い糸でその後も教会と繋がっていた。

Mさんは、嫁いで子供を授かり家庭を築いたが、10数年前に事情から単身となって教会に戻り、約5年間生活を共にした。そして、2度目の修養科を勤め、家庭をやり直すべく再び自らの家族が居る住まいへと復帰した。

その後は月々、決して途切れることなく「神様への繋ぎです」としたためて、御供えと祭典用にと沢山の乾物を送って下さっている。

2年前(2021年)の秋、Mさんからの電話。
電話は珍しいことではない。定期的に声を聞き「お元気ですか?お変わりないですか?」とやり取りをしている。教会からは月報と陽気誌を毎月送っている。
だから、その時の電話も、定時連絡のような感覚で応対した。
Mさん、いつものハスキーでシャカシャカした元気な声ではない。
「何かあったね」すぐ分かる。
「で、どうしたの?」
「実は、、、消化器系に腫瘍が見つかって、、ステージ4なんです、、、」とMさん。

その年の夏頃から、どうも体調が良くなく、疲れやすく、しんどい。歩く足の運びが覚束ない。字を書く手が時々震える。喋りたいけど舌がもつれる感覚がある。
つまり、消化器系の腫瘍が既に脳内にも転移しているとのこと。それが“モヤモヤのような、影のような、むくんでる塊のような”である。
医師からは、安静にしてしっかりと治療しましょう、感染症には気をつけて、と申し渡された。

こんな電話があったら、すぐに駆けつけるのが信条だ。私の父親も、私の祖父も、おたすけとなれば遠近問わず、すぐに駆けつけていた。そんな姿を真近に見てきた。
すぐに行きますっ、と言いかけて、しかし、一瞬躊躇した。
“感染症には気をつけて、”との医師の言葉。

世界中で猛威を振るう新型コロナウィルスの真っ只中。人の往来がきつく制限されている世相。病院も介護施設も高齢者施設も、面会が叶わない。
しかし、Mさんはおたすけを待っている。

この時の、突然の身上連絡以来、頻繁にMさんと電話で話した。話した、というよりもMさんの話やそこから伝わる気持ちや信仰上での思いなど、全部受け止めた。
Mさんの両親が導いたよふぼくさんにも連絡をし、Mさんの現状や気持ちを共有した。そして、よはぼくさん宅の講社祭では必ずMさんのお願いづとめを勤めた。
『Mさん、みんなMさんの無事を祈ってるよ』

病状は一進一退。この場合、一進は悪化、一退は好転やね。
年が明けて(つまり2022年)、Mさんと新年のご挨拶の電話。年末年始は、容態は比較的安定していたそうだ。
コチラでは、ずっとお願いづとめをあちこちでいろんな方々が勤めて下さっている。特に、幼少期に共に教会で過ごし、同じ釜の飯を頂き、実の兄弟姉妹のように育った信者さん方にとっては、まさしく我が事のように真剣にMさんのたすかりを神に願った。
今日の通院はこうでした、今回の診察ではこうでした、次のお薬はこんなのが処方されました、通院間隔がちょっと延びました、などなど、Mさんからの連絡は一進一退。一喜一憂。

2022年秋、大教会では久々に団参を行った。コロナ禍以来、初めての団参。私共の教会からも大型バスを仕立てて団参に参加した。みんな、久しぶりの団参にニコニコだ。団参を終え、体調を崩す方もなく、コロナ感染の報告もなく、私は「よし、次は来年4月、教祖御誕生祭への団参を再開しよう」と決めた。4月団参は、コロナ禍以前は毎年恒例で行っていた団参だ。
そして、Mさんに、
「コロナ禍も少しずつ落ち着いてくるでしょうから、来年4月の団参、一緒に行きましょう!」と伝えた。
「私もそのことを考えてました。だけどおぢばまで体力が持つかどうか、、、」

Mさんは大分県にお住まいの方。食品会社にお勤めのMさんにとって、お仕事を休んでのおぢばがえりは時間的に、そして物理的になかなか困難だ。だから交通手段は新幹線で往復して、おちばに一泊、もしくはフェリーで往復。
お元気な時は、教会からのバス団参に合わせて九州から駆けつけて、おぢばで合流していた。
しかし今回は、現在の身上を考えると、とてもじゃないが体力的に不安がある。それは私も分かっている。だけど、なんとしてでもおぢばにお帰り頂きたかった。
「4月16日に私は北九州市の教会に行きますから、祭典後に大分までお迎えに行きますよ。そして、教会で二泊して、皆さんとバスでおぢばがえりしましょっ」と伝えた。
Mさん喜んで、「行きますっ」と約束して下さった。

4月に入り、通院先の担当医の見解によれば、Mさんの病状は落ち着いていて、奈良へ行くのも体力的には問題ない、とのこと。Mさんも大変喜んで、電話口の声も健常な頃とちっとも変わらないお元気そうな声だ。
「会長さん、わざわざ大分まで迎えに来てくれるのは申し訳ないし、小倉駅まで電車で行きます!」と。
「大分までお迎えに、、」とは言ったものの、正直いってMさんからのその申し出は助かった。小倉まで出てきて下さったら、教会への帰着もそんなに深夜に及ばない。
当日は小倉駅で落ち合うこととなった。

4月16日。ご部内の祭典を終えて、約束の時間に小倉駅へ。ロータリーには、以前と少しも変わらない姿のMさん。唯一変わったところと言えば、安全に歩行するための杖を持っていることくらい。
「Mさんッ!」
「会長さんッ!」
5年ぶりの再会。しっかりとした足取りで私の車まで歩き、ひょいと後部座席に収まった。
教会までの道中、約7時間、Mさんはこれまでのことを喋り倒す。私も嬉しく「うん、うん」と頷く。
夜遅くに教会に帰着。すぐさま参拝し、おさづけを取り次いだ。
「申し訳ありません、おさづけが今になってしまって。」

久しぶりの教会で、Mさんはゆっくりと過ごされた。そして団参出発の朝。帰参される方々が教会にだんだんと集まり、そして、久しぶりのMさんを見つけるや、次々と笑顔を交わしている。みんなハグしたいんだろうね。だけど、気持ちを抑えてるよね。涙目の方もいらっしゃいます。

バスに乗り込み、出発。一路おぢばへ。
御誕生祭のおつとめには時間的に間に合わない行程なので、まずは詰所に到着し、ゆっくりと皆さんで昼食を頂く。
そして、皆さんそれぞれのルーティンで神殿へと向かう。Mさんは、仲の良いご婦人さんたちを伴って、私と共に車で神殿へ。

Mさんにとって、久しぶりのおぢば。
Mさんにとって、たすかるんだと味わわせてくれるおぢば。
Mさんにとって、一番元気になれるおぢば。
おつとめをなさるMさん、これ以上ない感激が溢れ出ている。

おやさまの元へ。
Mさん、もう泣いている。
たすかるんだ!
仲間のご婦人さん方の添い願いの中、おさづけを取り次がせて頂いた。
Mさん、ゼッタイ元気になろうね!

翌日の婦人会総会にも、Mさんは仲間と共に元気に神殿に向かった。もうずっと笑顔笑顔。身上者には見えないね。
おぢばで味わう生きる実感は、人をしてこんなにも笑顔にさせるんだ!
この道の信仰の真髄だ!

嬉しく楽しくありがたい団参が終わった。
「あ〜、大分に帰るんだ、、」
Mさん、なんだか寂しそう。
団参の翌日、大分に帰る日の朝早く、Mさんのご長男さんから一本の電話。
「夜中にオヤジが逝った」
Mさんにとっては、長年連れ添った伴侶ではあるが、決して平坦な道中ではなく、むしろ山坂だらけの夫婦道。決して許すことができない禍根もある。近年は介護施設にて養生をしていた。「オヤジが逝った」との知らせは、とても複雑な過去をMさんに思い出させた。しかし、縁あって結ばれた夫婦。Mさん、私達に気丈に振る舞おうとするも、視線は遠い。
「教会から大分までは船で帰る」と、「お悔やみもお伝えしたいから、ボクも大分まで同行するよ」との言葉を遮った。

Mさんは、心許なく留守を預かるご長男さんと、お通夜と告別式の段取りを電話で相談している。Mさんの嫁ぎ先の宗旨は仏様。私の出る幕ではない。言葉のかけようが無い。
「はぁ、、これも御守護よね」と自分に言い聞かせるように呟くMさん。

大分港まで、豊後水道を横切るフェリーに乗るべく、八幡浜港にMさんを送った。
「またおぢばに行こうね!」
と別れた。

3日後、Mさんからの電話。
「主人の式も無事に終わり、納骨も済ませました。」と。
私は、親神様の御計らいを探った。答えなど出るわけがない。「これでいいんだ」と思い直した。

なにか吹っ切れたようなMさんの声。
また辛い治療が始まる。
こちらでも、あちこちで仲間がMさんのたすかりを祈る日々が続く。

2023年の夏は、記録的猛暑が続いた。
元気な我々でもへこたれてしまいそうな猛暑。高齢の方々や、身上の方々にとっては、命取りともなる猛暑。
しかし、Mさんさんは元気で夏を乗り切った。
そして、9月16日の朝、冒頭のお電話の声だった。
「会長さん、脳内にある、モヤモヤのような、影のような、むくんでる塊のような、それが無くなったんですッ‼️」

不思議が神

祈りは届く

この先も、Mさんの病魔との闘いは続く。
病魔の本体は消化器系だ。
きっと明るい出口があるに違いない。
親神様の思惑や那辺にありや。
おたすけは続く。

祈りも続く。きっと届くと信じて。

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