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天理教青年会の活動2

先週は直属編として青年会活動を振り返りました。天理教には、直属(タテ)と教区(ヨコ)の活動があって、当然青年会にもタテとヨコの活動があります。今回はヨコの教区編として記事を興しますね。

ハートクリーンキャンペーン
略してHC

直属分会で活動を頑張ってた反面、教区支部では活動内容を模索していた。当時、ヨコの活動の柱は“ハートクリーンキャンペーン(HC)”だった。月に一度、同じ地域に住まう会員が集まり、清掃等の活動を通して互いに勇ませ合い、地域にも陽気暮らしの輪を拡げることを目的とした活動だ。

私の住まう地域では、とある公園遊歩道のゴミ拾いをしていた。聞こえはいいが、すこぶる充実感に欠けていた。そんな頃、老人施設を経営する知り合いから「入居者の方々へのケアで精一杯、施設の清掃にまで手が回らない」という話を聞いた。
「これや!」
「その掃除、微力ながら私達にお手伝いさせてよ!」
即決だった。
一つの施設内でのひのきしんなので、“地域に映す”という点ではモノ足りない感も否めなかったが、何よりも参加者の達成感に裏付けられる笑顔がよかった。天理時報の取材にも手を挙げて、写真入りで掲載して頂いた。仲間も増えた。
当施設に職員として就職することができた参加者もいた。
支部婦人会も共に参加してくださるようになり、月一回の楽しい活動が根付いたことは嬉しいことだった。

そんな時期、教区委員長さんから「次の委員長に」と依頼された。「直属の委員長をやってるからムリー」と固辞したが、他にやってくれそうな方がおらず、仕方なく引き受けた。

教区委員長と教区委員会


愛媛教区は13支部。名簿上の会員数は1000名。この規模は教内ではほぼ中間くらい。
近隣では、山口教区と徳島教区が同規模だった。
「当面はこの二つの教区を参考にがんばろうか」
と私の委員長活動が始まった。結果、3期勤めることになってしまうのだが、、、

教区委員長になって初めての例会。13支部中たしか5支部が教務支庁に来てくれた。本会からの連絡事項を伝え、HCの現況を聞き、あとは飲みに出かけた。そんな、教区予算の無駄遣い的例会が暫く続いた。
ワイワイと飲むのは楽しいが、そもそも、この“例会”のあり方がダメだ。13支部全員参加なんて程遠い。

なので、例会のあり方を変えた。各支部の委員長さん、キミ達は教区委員会の委員さんだよ、私と13人の委員さんとで愛媛を盛り上げるんだよ、例会じゃなくて委員会だよ。そして、まずはHC実施の13支部100%達成を目標にがんばろうぜぃ!と再スタートした。
山口と徳島は、常にHC100%。それがどうしても気に入らなかった。シャクだった。負けたくなかった。

再スタートした委員会では、とにかくHCの話題ばっかりした。研修会をやったり、巡回をやったり、予算もHC活動につぎ込んだ。
委員会では、みんなの前で「ウチの支部は○月○日に実施。会員○名を含む合計○名参加。」「ウチの支部はまだボク一人です。」などと毎月報告会。HCのやり方や悩みや喜びなどを共有した。が、実施率はなかなか伸びない。そもそも13支部全員参加の教区委員会すら稀だった。
ようやく13支部全員が委員会に揃うようになり、2年近くかかったかなぁ、ある時の委員会でHC報告会の時間になり、順番に自支部の活動を述べていく。13支部の報告が一回りした。ん?参加者が自分一人という支部がない。隣にいた副委員長が「おい、100%達成したんじゃない!?」と私の顔を見た。ちょっと目が潤んでいる。当然、私も100%に気付いていた。泣けてきそうだった。いや、泣いていたかもしれん。
委員会として一つのことをやり遂げた喜びは大きい。みんなで味わえた喜びだ。うれしかったなぁ、、。

教区としての布教活動

HC100%をなんとか維持しつつ、さぁ次はどんな活動に取り組もうか?いろいろ議論する中に、後に教区委員長となる、とある支部委員長さんが、「布教活動をしよう」と息巻いた。
ワタシ的には「布教はタテじゃね」ていうヘンな固定観念があったので最初は乗り気ではなかったが、ガチな布教活動はタテに任せて、ヨコらしく、楽しくワイワイと、いろんな会員さんを巻き込める布教活動をしようぜぃ、と教区内のJR駅全てで路傍講演とチラシ配りをするという、その名も「全駅布教キャラバン」を計画した。実は、東京教区の“山手線布教キャラバン”の話しを聞いていたので、丸パクリした事はナイショね。
あとは、私が教区予算を勝ち取ってくるだけ。そして、口八丁手八丁で予算を勝ち取った。
13支部をひと月にひと支部。1泊2日で当該支部内に所在する全ての駅で活動。13ヶ月かけて全支部でやり遂げた。

この活動、サラッと書いたが、なかなか根性と根気のいる活動だった。だけど、ひと月にひと支部、1泊2日とし、初日の晩に委員会をするという、委員会予算をも抱き合わせたので、ささやかながら懇親会も無理なく毎月することができたのが楽しかった。
いろんな会員さんと出会えたし、楽しく布教活動ができたことがよかった。

地域における青年会活動とは

教区支部の青年会活動には、やはりまず第一に、活動から醸し出される“陽気で楽しい雰囲気”が大切だ。
そして、どんな会員さんでも受け入れることができる“参加しやすさ”も大切。
地理的、物理的に、所属する分会や直属分会から遠く離れている会員さんには、せめて地域の活動に参加して頂き、信仰の息吹に触れることが出来れば、分会や教会としてはこれほどありがたく頼もしい事はない。
活動のやり甲斐を直接的にその場で味わうことが出来る、それが青年会の地域活動だ。

少しずつではあるが、着実に充実してきた教区青年会活動が見えてきた。そして、「天理教青年会創立90周年 天理青年一手一つ躍進の集い」へと突き進んでいく。

続きはまた来週に。。。。↓

🔸オマケコーナー🔸

教区委員会のメンバーは年齢がほぼ同世代だったこともありホントに仲良く楽しく活動をした。
ある委員会の時、「なぁ委員長、教区青年会としてひのきしん隊に入隊したいんだけど」との案が出た。みんな「おおっ!それいいね!」と前のめりになった。
私も「こりゃ毎晩宴会だな♪」とOKしようとしたが、珍しく冷静になった。
ひのきしん隊は、各直属分会が最低でも10名称で1名の割合で入隊人数を定め(つまり50ヶ所分会なら5名)、1年間声がけをし入隊するものだ。
直属委員長でもある私は、この入隊者集めに常に苦労していた。そして、恥ずかしながら、定めた人数を達成したことがなかった。夢は22名の1個班だった。いつも入隊の時は、入隊者数を達成できず、責任をとって丸坊主で入隊していた。
「今の教区青年会のチカラなら、1個班できるかも」と思った。が、メンバーはみんな直属分会でもリーダー層であり、ひのきしん隊隊員募集の苦労は分かっている。こんなに容易く入隊できていいものか?と思った。
「みんなで入隊しよう!だけど、条件を2つだけクリアしてよ」
条件1。必ずその年に直属分会としても入隊する事。
条件2。教区管内の名称は(当時)330箇所。だから入隊者数は33名を目標とする事。
するとみんな、「委員長ぉ〜、そりゃないよ〜」てなった。

私は、ぢばへの伏せ込みは遊びではないことを分かってほしかった。

後日、毎年38母屋で開催される「教区青年会リーダー研修会」で、大阪教区青年会が入隊した!との話を聞いた。確か14名だった(間違ってたらごめんなさい)。隊員の中身を聞いた。14直属から1名ずつ、とのこと。分会が被ってない。スゴイ!
そうか、その考え方があったか!私は負けを認めたね。研修会後、直会の席で大阪の茶谷委員長のグラスにビールを注いだ。敵わないな、と思ったね。
悔しかったね。

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