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人づくりの心定め用紙

 教会長を受け継ぐまで、私は父親の運転手兼カバン持ち兼話し相手として、常に金魚のフンだった。
それは葬儀の場でも同様で、齋員として扈従していた。

 ある時、重服を互いに着せ合いながら、ふと父親が、
「俺が教会長になって最初の3年で18人の方々が出直した。けどな、同じ期間、よふぼく誕生は18名を上回ってたなぁ。」
と呟いた。
「マジかッ!」

時代は昭和55年から昭和58年の3年間のこと。

おやさま100年祭(昭和61年、1986年)の6年前〜3年前の期間。
この時期は、昭和56年1月26日3代真柱様による「諭達第3号」ご発布。西礼拝場ふしんが竣工し、立て続けに東礼拝場ふしんに着工。西左第5棟(敷島)、西右第5棟(南海)、西右第4棟(憩いの家)の各やかたふしんの竣工(東右第4棟講習科棟は昭和54年に竣工)、南右第3棟(高安)ふしんの起工、などなど、もう天理教が一番ノリノリだった時期でしょうねぇ。

「3年間でよふぼく18名以上かぁ」

2023年8月、埼玉県にお住まいの方がお出直しになった。
教会長就任以来10年、37人目のお送りである。天理教祭式以外の葬儀を含めると39人目になる。
そして、よふぼく誕生は、、、、。半分にも満たない、、、、。

「人づくり」だねぇ。
    喫緊の課題だねぇ。

「お供え金額の心定め」って、そこには1mmも信仰的動機は見出せないし、やるとしても上意下達ではなくて、各個人がそれぞれの胸の内に秘めて勤めればイイくらいの感覚しかない。
つまり、私は“お尽くし”が説けない弱腰教会長である。

しかし、「人づくりの心定め」は大切だなぁてしみじみ思う。
ウチの系統では、毎年末が近づくと各教会に「人づくりの心定め」用紙が届く。
そこには、初席〇〇名、よふぼく〇〇名、修養科〇〇名、教人〇〇名と4項目ある。
〇〇のところが余白となっていて、教会長さんは、皆さんと相談したり、或いは独断で数値を決めて書き込む。

父親は役員会で相談し数値を決定していた。
私は、今のところ独断している。
教会長就任当初は、ま、これくらいかな的な数を書き込み大教会に提出していた、事務的に。

ところが、あるご部内の12月月次祭に伺った際。祭典開始直前に当該教会長さんは、数値が書き込まれた用紙を三宝にのせ、親神様に供えたのである。
私は「おおっ!」と、その姿を注視した。そして、事務的に提出していた自分がとてつもなく恥ずかしくなった。
以来、私も、大教会に提出する前に12月月次祭に供えている。

またある時、別のご部内の会長さんと、人づくりの心定めについて話していた時、前掲のように、ま、これくらい的な数字ですよ、となんとなく告げたところ、当該教会長さんは、「それっぽっちですか!」と嘆かわしい顔をした。
「親神様は、何についてももっともっといっぱいあげるよ、と仰るのに、会長さん(私のこと)はそれっぽっちしか望まないんですか、もったいないですよぉ」て。

教祖伝逸話篇には、土佐卯之助さん、諸井国三郎さん、高井直吉さん、宮森与三郎さんらがおやさまと力比べをして、都度「神の方には倍の力や」とお諭しになる描写がある。
親神様は、人間側が思っているよりも遥か倍(以上)の力で御守護しお守り下さっている。
或いは、おたすけでも普請でも願い込みでも、神様の御用に向かって勤める人間側からの願いの筋よりも、もっともっと倍(以上)のお働きをお見せくださる。
これらのご逸話からは、こういった悟り方ができる。
その会長さんは、毎年けっこう大きな数値を書き込んでいる。それを見て私は、「この数値は非現実的やん」て毎年感じていた。だけど、親神様は“倍の力”でスタンバイして下さっている。私たちはなんの遠慮もすることはない、大きく心を定めるんだ!
以来、私も、大きな数値を定めている。

この用紙の末尾は教会長署名と職印押印である。またまたある別のご部内の会長さんは、この用紙に書き込む際、筆で墨書している。そして墨が乾くや、ドカンッと職印を押印する。
サインペンでササッと書き込んでいた私は、なんとなく自分を恥じた。
以来、私も、数値と署名を墨書しドカンッと押印している。

この「人づくりの心定め」の用紙は、大教会で取りまとめておぢばにお届けする。
これは重い。
たかが紙切れ、されど紙切れ。
神様の御用。しかも年末に定めるので、ある意味、教会長としての御用納め。

年末を迎え、この用紙が届き、「はいはい、これくらいね」て、ボールペンでササっと記入して印鑑をポン、「はい、これ提出しといてぇー」、、、これじゃぁ軽いね。

大きい心

おさしづアプリ(これ便利なアプリ!)で、「大きい心」と検索すると16件ヒットする。
その中の一つに、

大きい心を持って通れば大きい成る、小さい心を持って通れば小そうなる。

明治21年7月7日

とある。

教会からの団参の時、私は大きな帰参数の心を定めるようにしている。マイクロバスでと思うところを大型バスで!みたいに。
そして動く。
すると、動いたら動いただけ、いやそれ以上の与えを下さる。これは何度も経験した。
今年のこどもおぢばがえり。まずはマイクロバスを予約した。
「無理かもしれんけど、このバスいっぱいの子供達と」
いくら、4年ぶりの開催だから是非行きましょー!て声を掛けても、親御さんの反応は「とはいうものの、コロナはゼロではないしねぇ」と反応はイマイチだった。
それでも、どうにか隊のカタチになり、赤字にならずに勤めることが出来た。これも御守護だ!

今年も人づくりは大きく定めている。
特に、別席に注力している。ここだけの話し、人づくりの心定めには、私は密かに“中席数”の心定めもしている。
なんとか、どうにか、今年こそは、近づきたい!
いや、達成したい!!

世の慣いと限りある命の定めだが、人のお送りばっかりの御用はしたくない。
よふぼくの誕生に1人でも多く立ち会いたい。
そして、人づくりには、「おぢばがえり」が必要不可欠なのだ。
来年もおぢばに心を繋ぎ続けたい🙏

一歩ずつ、一歩ずつ、前進、邁進。

奇しくも本日は私共の教会の、本年納めの月次祭。人づくりの心定め用紙をお三宝にのせ親神様、おやさま、みたま様にご覧頂きます。
届け、おぢばへ!

今週もありがとうございました🙇‍♂️

※追伸とお詫び
先週号にて投稿予告した「岡山寮のこと 其の4」は、またまた1週間先延ばしいたします🙏


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