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親神様派?教祖派?

「いっけんさんは、親神様派なんですねー」

て言われてことがあるんよね。
なにそれ?不毛な議論?そんなこと考えてもみなかったーww

ある時、数人のグループでなんとなくお道談義をしてたんですが、
「好きなおふでさきは?」てなり、
私は即座に、

 たん/\となに事にてもこのよふわ
  神のからだやしやんしてみよ(3-40)

て答えたんです。
なぜなら、火水風の御守護、天変地異、身近なところでの変化や異変、日頃の体調、これ全て親なる神様のお働きによるもの、との信仰価値観から、いつも思案の第一歩はこのお歌だよ〜、て云々カンヌンと喋ってたら、“親神様派”てなったわけ。

親神様派、教祖派、ていう観点が私にはなかったので、オモシロイこと言うなーーてその場は次の話題へと進んだのでした。


大教会の祭典講話の講師として、本部ご婦人先生がお越しになって、教祖殿でのおやさまの日常や御奉仕のことなどをお話しくださいました。この先生は長年、教祖殿で勤められている方で、おやさまの日常を詳しくお話しされます。
私は、教祖殿やおやさまの様子を目の前に思い描きながら先生の講話に聴き入りました。

と、講話の結びにかかるかなと思われたあたりで先生が、ご自身にとても深刻な悩みがあることを話されました。
そしてある時、教会の神殿で参拝の折、親神様への参拝時ではなく、おやさまへの参拝の時に、件の深刻な悩みを思い浮かべておやさまにお尋ねしたそうです。「おやさま、おやさま、どうしてでしょうか?」と。
おやさまへの思慕の情とでもいいましょうか、まさに「おやさま存命の理」、なんでもおやさまに打ち明けたい、おやさまから何かをお知らせいただきたい、おやさまがたすけの糸口をお教えくださるんだ、そんな固い信仰信念がこのご婦人先生の心の内には脈々と息づいていたんでしょうね。

おやさま存命の理

私たちの、おたすけの活力、源ですよね。

このご婦人先生は、上記の出来事、つまり、おやさまへの参拝の折に、ご自身の深刻な悩みが思わず口をついて言葉になり、おやさまに打ち明けていた、という経験を出向先のとある教会で講話をしたそうです。
そして、事後にとある教会長さんに問われたそうです。

「なんで、おやさまなんですか?」と。

問いの意味は、「親神様ではなくて、おやさまへの参拝時にご自身の深刻な悩みをお願いなさったのは何故ですか?なんで、おやさまなんですか?」と。

ご婦人先生、答えに窮したそうです。
それほど、おやさまをお慕いし、たすけの親、教えの親としてこの道を歩んでこられたから、「なんで、おやさまなんですか?」と問われても答えられないのも無理はない、それほどおやさまを身近に感じておられたんでしょうね。自然な発露だったようです。
そのように拝察します。

しかし。
反面に、天邪鬼な私は、なんだか問い主の意図がわかるような気がするんです。
たすけの親は、親神様だろーー、て。
願いを込めるのは親神様にだろーー、て。

ついつい、物事を斜に構えて、横目で見てしまいがちな私にはこんな心情がある。
「教祖殿に関わることをなんで内々の者だけで完結するのか。
日頃の神殿は主に詰員と境内掛に任せて、なぜ教祖殿に関わる当番は在籍者だけなのか。
なぜ教祖殿に関わることを勿体ぶるのか。
なぜ隠したがるのか。」
この際もっというと、なんであんなアンポンタンに教祖殿お守り所当番を当てるのか。
ボケ〜とするなよ、寝るなよ。

親神様こそ、信仰の真髄でしょ。
ぢば甘露台こそ、たすけの源泉でしょ。


ある時、ある先輩教会長さんがこう言った。

「おやさま年祭の節目は大切な旬。
しかしな、立教の周年の節目は、俺にとっては年祭と同じくらい大事。
立教の周年行事をもっと意義深く、かつ盛大にアナウンスしろよーー!」
と。

わかる!
その通りや!
あぁ、やっぱりワタシは親神様派なのかも。


この議論、変なの、、、。
もう不毛な思案はやめますね。

親神様、
明日の命も宜しくお願い致します🟣
おやさま、
いつもいつもありがとうございます🔴

今週の記事には答えはありません。
余計な人間思案もあえて正直に書きました。
よって件の如し。

5月26日
天理教教会本部では月次祭が執り行われます🙏

また来週🙋‍♂️

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