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丹精する人、される人

山本五十六さんが遺した言葉に、

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

山本五十六

とある。
とっても好きな言葉。
丹精し人を育てる要諦を実に分かりやすく言語化して下さっている。

この言葉から連想する人、皆さんご自身を丹精なさった人、どんな方を思い浮かべるでしょうね。いろんな方々の、「丹精したお話し、丹精されたお話し」を聞いてみたいなぁと思いますね。
今回は、父親の場合、私に対しての丹精はこんな感じでした、ていう記事です。


大教会での青年勤めを終えたおやさま110年祭の年。
夏のこどもおぢばがえりも“おやさま110年祭”と名称を冠して、例年以上にチカラを入れて取り組まれることを聞いた。
そんな旬の春頃、父親から、
「今年のこどもおぢばがえりは、一憲がやってみるかね」といわれ、団から配布された要項一式を手渡された。
あれこれと準備に取り掛かり、なんとかマイクロバス1台での楽しいこどもおぢばがえりができた。
父親も大変喜んでくれた。

24歳の若造に、大切な参加者である子供達を任せることは、父親としては、心配と不安しかなかったと思う。
だけど、父親は一言も口を挟まずに見守ってくれた。以後、毎年、こどもおぢばがえりを重ねてきた。時には赤字になる年もあったが、そんな時も「来年はそうならないように工夫してみたら」と、小言一つも言わずに補填してくれた。


ある信者さんのお葬儀。千葉にお住まいの方。父親は役員さんを連れて、愛媛からおぢばに立ち寄り、学生だった私に「おーい、千葉まで葬儀にいくぞー、運転をたのむー」て事で同行した。
千葉に無事に到着。突然、父親が、「今回は、一憲が司会をやってみるかね」とお茶を啜りながら、テレビのチャンネルを変えてみてぇ、くらいの軽い感じで私に言って、式次第一式を手渡された。
「故人の名前だけは間違わないようにな」
と。

脂汗やら冷汗やらのド緊張を味わいながらも、遷霊祭と当日の告別式の司会を勤め、出棺となった。
火葬場に向かう車中で、父親が「司会、合格や、ワッハッハ」と破顔。
ぶっつけ本番で、よりによって大切なお式の司会なんかをよくもまぁこんな若造に任せるわ、、と呆れてしまったが、今となっては思い出深い経験。


そんな父親の丹精っぷりというか任せっぷりというか、それは私が会長を譲り受けるまで続き、今となっては数々の経験が私の血肉となっている。

いろんな事柄を私に任せはしたものの、随分と心配だっただろうな、頼りなかっただろうな、ヒヤヒヤしただろうな。

そんな父親は、33歳で教会長になった。
若かった父親は、今の自分に教会長が勤まるだろうか、と悩んだ。
祖父は父親に、
「自分の思ったように勤めたらいい、間違ったら素直に謝りお詫びしたらいい」
と言って会長職を退いた。退いてからは、一言も口を挟まなかった。

私はその祖父の話を聞いていたので、次々と私に物事を任せてくる父親に祖父の姿を重ねて、任せられた事柄に対して懸命に取り組んだ。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

今、この言葉はとても重い。
私の長男は今年23歳。
さて、“丹精”、どうしたものか。。。

結局私はなんの抵抗もなく父親の後を継いだ。父親の丹精の仕方(導き方)は、私にとても合っていた。私に父親の真似ができるかなぁ、、、。いや、まずは自分が毎日嬉しい楽しいありがたいと感じている背中を映せられるよう努力することだね。父親がそうであったように。そう思っています。

ところで。上記までの話しをぶち壊すような余談ですが。。。

「丹精」と聞くと、職業病とでも言おうか、教会長である私は、反射的に“私が”丹精する人、と思ってしまう。確かに、丹精する人という自覚と覚悟は大切だと思う。
だけどね、私は捻くれてるんです。アマノジャクなんです。
祭典講話などで丹精についての話題をなさる先生って、主語が自分自身なんよね。そして聴衆にも「丹精しなさいね」とマウントしてくる。
イヤだね、私は。
私は、未熟だし、もっともっと親神様に丹精される人でいたいんだよ!

最後までお読みくださってありがとうございました🙇‍♂️
また来週👋

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