진현에게 사랑을 담아서 (ジンヒョンに、愛をこめて)
ジンヒョンが外国籍選手のJ1最多出場記録に並び、追い越そうとしている。偉大な記録。
自分にとってジンヒョンは、いわゆる「推し」の選手とはまた違っていて、大袈裟ではなく、「ジンヒョンという存在がセレッソそのもの」と言っても過言ではないと思っている。
そんなジンヒョンについて、私の思い出とかを交えながらここに文章として残したいと思います。
「外国人選手が異国の地でプロデビューすること」
ジンヒョンはセレッソに2009年に加入します。
練習生を経てセレッソ入団となりますが、本人曰く、「クルピが獲得を後押ししてくれた」のが理由らしい。
しかし、ジンヒョンの苦労は私たちの想像を越えるものだったと思います。
今でこそ「韓国人」選手が「日本」でプロデビューすることは珍しくなくなりましたが、あの時代はどうだったんでしょうか。
また、キーパーと言うポジションはフィードプレーヤー以上に「言葉」が重要になってきます。「一生分ペンを握った」という彼の言葉が、言葉を覚えるためにどれほど努力したかを物語っていると思います。(たくさん手伝ってくれた龍とタカ、本当にありがとう)
そして、「異国」の地で生活をするということ。当初は練習以外寮から出なかったと聞きます。
例えば日本人で、「異国の地でプロデビューして、そのクラブで長く活躍」した選手ってほとんど聞いたことがありません。やはり環境への適応など、わかりにくい難しさもあるでしょう。
それでもジンヒョンは乗り越えてくれました。本当にありがとう。
「多くは語らない、でも内に秘めた闘争心」
SNSが当たり前になっている今、選手から私たちへ色々な言葉を発信してくれることが珍しくなくなりました。
彼もSNSをしていますが、あまり発信をしません。インタビューでも、ストイックなまでに自分に矢印を向けた発言、そしてまわりへの感謝の言葉が目立ちます。
練習も誰よりも最後まで残っているのがジンヒョン。
個人的にとても印象に残っているシーンがあって。2012年のホーム鳥栖戦。
試合は取られて取っての展開で、セレッソが3-2と逆転した試合終盤。相手のコーナー?のボールをジンヒョンがパンチングでクリアしようとしたが、パンチングは相手顔面へヒット(顔面骨折)、残留争いをしていたセレッソにとっては痛いPKを取られてしまいます。
このPKをジンヒョンが見事ストップ。そのままセレッソが逃げ切りました。その試合のヒーローインタビューがあるんですが
個人的には、この時期のジンヒョンが凝縮されたヒーローインタビューだと思っていて、このヒーローインタビューは是非見て欲しいです。
「代表落選、J2降格、それでもセレッソに残ってくれた」
セレッソで育ったジンヒョンが、ワールドカップメンバーの当落線上にいた2014年の大阪ダービー。韓国代表のスタッフが視察にきていました。
しかし…
入れ込みすぎたのか、ジンヒョンはらしくないキックミスが目立ちました。
そしてポポビッチは「選手を守るため」にとの理由で、怪我もしていないキーパーを途中交代するという決断をします。
事実上、ジンヒョンの2014年のワールドカップが終わった瞬間でもありました。
その後、セレッソはJ2へ降格。
実力は他の韓国代表のキーパーより劣っているなんて少しも思わない。
少しでもアピール出来るように、韓国でプレーした方がいいのでは?その選択をしたとしても、誰もジンヒョンを責めたりしない、そうなっても仕方ないと覚悟していましたが、
「状況が悪いからといって逃げるのは男としてするべき事ではないと思った」「サッカーは私の人生で最も幸せなことだが、この程度のこと(降格)で逃げたくはなかった」と、セレッソ残留をいち早く表明。
ジンヒョンにとってのセレッソが、思った以上に大きな存在であってくれたことが本当に嬉しかったです。
「韓国人選手と兵役問題、そしてジンヒョン」
ここで少し余談を。
韓国人選手につきまとう「兵役問題」。
ジンヒョンについても、年齢が近づくにつれ、「兵役大丈夫なん?」という声が聞こえてきたのをよく覚えています。
韓国の男性には兵役義務があります。
近年では、札幌のソンユンが兵役のために韓国へ帰国しています。
この兵役が免除されるのは、主に2つの場合。
①オリンピック等で3位以内(ボギョン)
②怪我等の理由
ジンヒョンの兵役免除についてあまり語られていませんが、2010か2011年に受けた膝の軟骨の除去手術が理由になるみたいです。
ちなみに、同じ理由で兵役免除になったサッカー選手は何人かいるみたいです。それでも、ジンヒョンがセレッソ一筋でいるための最大の課題はこういう理由で解決しました。(ちなみに、今は怪我でも兵役義務がある場合があるみたいです、タイミングも良かった)
私が「ジンヒョンは奇跡の存在」と思うのは、兵役が免除されたことも大きいからです。
「昇格、タイトル、そしてワールドカップ代表」
2016年、セレッソはプレーオフの末見事昇格。
もちろん、ジンヒョンの力が大きかったことはいうまでもありません。(岡山戦の先制点前の二つのビックセーブがなかったら…)
降格の責任は十分すぎるほど果たした。韓国のチームや鹿のチームからオファーがあるとの噂もある。2018年にはワールドカップもある。
それでも、ジンヒョンはセレッソに残ってくれました。いや、おそらくはセレッソでモリシの道をたどり、追い越す決意をしたのではないかと思っています。
この頃から、少しジンヒョンの表情は変わった気がします。
もちろん、ストイックに自分に矢印をむける姿勢はかわらないんやけど、どこか柔らかくなった気がしました。
もちろん、結婚したのも大きいだろう。でもジンヒョンにとってセレッソが「クラブ以上の存在」になったのではないか、自分を追い込んできたジンヒョンが、何かふっきれたのではないか、そんな気がしてなりません。
「ジンヒョンとセレッソと私」
私がセレッソのサポーターになったのが2010年。
つまり、サポーターになってずっとジンヒョンはセレッソにいてくれました。
結婚し、子どもが生まれ、その子どもがサッカーを始め、今は「ジンヒョンみたいになりたい」と言っています。
ジンヒョン、本当にありがとう。
多分、書きたいことの10%くらいしか書けてませんが、また次の機会に。
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