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【ネタバレ有】こんなネットの世界が出来たらきっと不幸だよ、多分ね~竜とそばかすの姫~

細田監督の新作、竜とそばかすの姫見てきました。感想を書く上でネタバレしないわけにもいかないので仕方なくネタバレ全開で行きます。

とはいってもファーストビューにネタバレを載せるわけにもいかないので、ニュースや話題にもなっている舞台の高知の事から。描写以上に田舎です。もっともっと田舎です。あんなに人いないからね。いやマジで。

とはいってもファーストビューにネタバレを載せるわけにもいかないので、ニュースや話題にもなっている舞台の高知の事から。描写以上に田舎です。もっともっと田舎です。あんなに人いないからね。いやマジで。川はマジできれいで、作中で出てきた箇所のほとんどの箇所に行ったというか通ったことがあります。親戚が高知にいるので、大体行ってますね。マジで家はあんな山中に立ってるし、ガードレールもない細い山道を車で走っているので、ワンミスで崖から転がり落ちます。冗談抜きで危ないです。

カツオのたたきが出てきますが、高知の家庭料理で食べていたカツオのたたきとは若干趣が違いますね。もっと外側は厚めに焼いて焦げ目をつけて、玉ねぎスライス、ニンニクスライス、刻み葱をこれでもかとかけて、ポン酢でいただくのが一般的な印象があるので、あのカツオのたたき描写にちょっとだけ納得いってなかったりします。まぁ、個人的には、しょうが醤油かけてご飯の上に乗っけて食べるのが一番好きですが。

というわけで、高知話でファーストビューをもたせて本編の感想ですが、ぶっちゃけ面白い面白くないより先に、これ「美女と野獣」じゃん。と思ったのが最初の感想でした。多分、めちゃくちゃ意識してるなーと感じました。まぁ、テーマを鑑みれば、モチーフとしては正に適任ではあると思いました。

さて、「U」という仮想空間と「As」というアバターによって成り立っている仮想世界、人生をやり直せるとか胡散臭い宣伝文句を並べて集客している世界。母親を失ったすずが、新しくベルとしてやり直した世界。この世界では、自分の隠された能力を引き出すことが出来るという胡散臭い世界で、彼女は新進気鋭の歌姫(ディーバ)としてトップに君臨する。

そう、サクセスストーリーではなく、ほぼ最初からトップであるところからスタートすし、竜と出会いなんやかんやするお話である。なんだかんだすごい映像美ではあるし、見ていない人はぜひ見てほしいくらいに美しい映画ではあった。

「美女と野獣」ではなく、「竜とそばかすの姫」でそばかすの姫はベル、そして追われている、虐げられている、悪とされているのが竜。その竜は「U」の世界秩序を乱す悪であると貶められ、自称正義の男(キャラの名前忘れた。森川智之さんがやられてるキャラなんだけど、これからはジャスティスくんと呼ぶことにする)が、執拗に討伐しようと何度も喧嘩を挑んでいた。そのジャスティスくんが持ち出したのが、「As」を丸裸、つまりアクセスしている本人にアバターを書き換えてしまうビーム、作中の言葉で言うなら「アンベイル」するビームを出す腕輪だった。

このあたりのくだりが自分にはすごく不思議だった。ここから先もずっと不思議な感覚を持ち続けていて、最終的に自分の中で結論は付けたのだが、すごく細田守監督に説教されてる気分に陥った。なんというか、シンエヴァに感じたあの説教感をこの作品にも感じた。

まず、大前提として「U」という世界は間違いなく「完全匿名性」を売りにしている。新しい自分になれる、人生をやり直せる、だけどそこで生活するのは自分の「As」である、ということ。

自分はテレホーダイの頃からインターネットをやっていて、更に前の世代にはパソコン通信をやっていた世代もいるのだろう。当時インターネットの世界は、完全に匿名で個人が特定できる情報を流すのはタブーだった。インターネットの世界は、今以上に無法地帯であり、少し油断したら後ろから刺されるような、そんな感じのする世界だった。「U」という世界は、そのような時代のインターネットをモチーフとしているんだろうなと感じた。当時、いじめから逃げるようにインターネットを繋ぎ、顔も知らないアバターもない誰とも知らない人間と夜な夜なチャットを交わしたり、掲示板に延々と張り付いたり、際限なくゲームで競い合いただただランキングや勝敗に執着したり。当時のインターネットユーザーの多くは、「現実」と「ネット」の世界は、別の世界であったと認識していたんじゃないかと思っている。少なくとも自分にとってはそうだった。

そして、見た人ならわかると思うが、色々とあってベルは「U」の世界で、自らアンベイルすること選ぶこととなる。アンベイル、自身が作り上げたアバターであるAsが現実の自分と置き換わってしまう事。この少し前のシーンでジャスティスくんがベルに「どうせアンベイルされたお前の歌を聴く人間など一人もいない」みたいなことを言うシーンがある。だが、自らアンベイルして素顔を晒して、ベルはすずとして大観衆の前で歌い、その慣習を熱狂の渦に巻き込んでしまう。アンベイルしても人は死なないじゃーん、絶望しないじゃーんつまんねとなり、あわれ、ジャスティスくんのスポンサーはみんな降板するのでした。めでたしめでたし。

そう、この旧来の匿名性のインターネットに拘っている昔のネットユーザーと、作中で出てきた「U」のユーザー達はどうしても自分はダブって見てしまう。そのうえで細田監督は、すず≒ベルを通して「ネットも現実も同じ人なんだよ」という事を前向きな意味で表現しているのではないかと感じた。

まぁ、制作時期から考えるとVtuberじゃね?って言われたら、うんそうだねとしか言えないんだけども。それでも、僕は旧来の「匿名性」であることをインターネットに重視し、しがみついている世代に対してのアンチテーゼで、時代に契合しよう、大人になりなというメッセージに感じたわけです。シンエヴァの時にも庵野監督がこんなこと言ってるように感じて、うるせぇ!って思ったのをなんとなく思い出してしまっただけとも言うが。

とはいえ、個の大きな悪意に対して、小さな善意を集めて勝つ、人の善意は小さくとも集まればきっと世界はよくなっていくという感じのメッセージ性は、今回も作品から感じ取ることが出来て、非常に細田守監督らしい作品であったといえる。個人的には、ラストすずが乗り越えた後のエピローグというか、他の人達の反応がもう少しだけ欲しかったなぁとも思った。

だがきっとこれは蛇足なんだろうとも思うので、あのシーンで終わるのが最適であったんだろうと思う。

ただ、それでも細田守監督が今のインターネットの在り方を肯定するような作品を出したことは本当にびっくりしたなぁ……。

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