これまでの人生を『ぎゅっ』とまとめたら、7日間程度だった
私の人生のバイオリズムは、すごく真面目に考え込んでいたかと思えば急に全てが虚しくなって、そこから開き直り、悪ふざけに走る。もちろん、しでかした悪ふざけを後悔する所までがセット。落ち着いているときの方が少ない。そんな感じの繰り返し。
死んだ心を虚しく抱えて、ひたすらレジ打ちしていた5月のある日。
あなたの声が、ここでしか聴けないのは勿体無いですね。どうもありがとう。
お釣りを受け取りながら、その人は確かにそう言った。仕事用の笑顔を貼り付けていた私は、どんな風に答えただろうか。人との会話は必要最低限が好ましいとされるこのご時世に、出会ったばかりの他人にかける言葉としては、あまりに過ぎた褒め言葉であろう。
接客ではなく『声』を褒められた。モッタイナイってなんだろう?声だけで何か出来るものなのかと考えた。それが、音声配信に興味を持ったきっかけだった。
漠然と抱いていた『何か変わりたい』という気持ちに方向性が加わって、取り敢えず何かやってみよう…なるようになる。と開き直れた出来事だった。
好きな事を好きなように、自分の思い描くように、思い切り、話してみたい。
その延長線上に『話す』ことが仕事だった父の背中が見えるような気がした。あの人の娘である自分は、どの程度話せるものなのか。いつか完全に社会復帰するとしたら、自分の気持ちを的確に言葉に出来るというのは強みなのではないだろうか。そう思った。
いつしか『悪ふざけ期』真っ只中だった私は、どうせやるなら話だけで判断してもらいたい、思い切りやってみようと、音声配信アプリをダウンロードして、テレビから聞こえた音をそのまま名前にし、適当な番組名をつけてハリボテのような看板を掲げた。
多くの人がやっていると聞いたので、どうせ誰も来ない。上手くいかない、つまらないと感じれば直ぐにやめてもいい。素の自分は何処かに捨てて海外の通販番組みたいに話をしてみようと思った。別の何かになりたくて、勢いでライブ開始ボタンを押した。
とにかく1時間話し続ける。それが最初の目標だった。誰もいない壁に向かって、これまで誰かから少しでも面白いねと笑ってもらえたエピソードや、似ているかどうか確認もできないようなモノマネまで添えて、何の反応もないまま喋り出し数分後。
笑顔のみかんのアイコンが私の目の前に現れた。
ライブの非公開という設定を知らなかったので、その日のその時間を再生する事はもう叶わないけれど、目の前の文字は面白いですねと肯定してくれて、笑って、楽しんでくれているように見えた。
今インストールしたばかりなのだと伝えると、オレンジ色のアイコンからは驚きの言葉と、更に褒めてくれる言葉が並んだ。その人もまた、誰かが初回にコメントしてくれたことが嬉しかったから、視聴人数が少ないライブに顔を出していると言う。
この時話し続けることが出来たのは、今も仲良くさせてもらっている彼女のおかげだと心から感謝している。
そのあと数日は勢いでライブも収録も色々やってみた。自分の過去をひっくり返しつつあれもこれもと吐き出すことを繰り返すうちに『悪ふざけ期』は過ぎて『真面目に考える期』が来た。
それなりに人との繋がりが出来てやり取りを重ねるうちに冷静になってしまい『後悔期』が来た。全てが恥ずかしくなり、いくつかのライブや収録は消して、自分を過剰にどうでも良くよく見せようとしていた無駄なものは捨てた。
そしてとうとう、話せそうなことは全て出し切ってしまった。もう空っぽ。私の人生、1週間もせずに語り尽くせてしまうものだとしたらかなり浅いな…。これまでのことを振り返り、これからのことを思っているうちに、いつの間にか突入していた『ひたすら虚しい期』。
楽しいかどうかさえ分からない状態だったが、ここがひとつの分岐点だった。
配信スタートから8日目の深夜。誰も居ないところに行きたいけど、1人きりは嫌だと言うなんとも微妙な気分の時に、とあるライブを訪れた。
例えて言うなら、長く旅をして来て疲れた森の中で、ひと休みさせてもらうのにピッタリな平地を見つけた、そんな感じだった。
実はそのライブについてが一番語りたいことなのだけれど、だいぶ長くなってしまったので、また次回に。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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