怒られる時はきちんと怒られる。

今日はお店の営業中に町内のお隣さんが来られてお叱りを1つ。
話しを聞いてみると自分の配慮がちょっと足りなかった部分があり、それが拗れてしまったみたいだった。
ヒートアップして話が広がる中で明らかに違うことまで怒ってしまっていたのでどうしたものかと思っていた所で、常連さんからお店の営業中だからとそれはそれでお隣さんに注意したことで終了した。

営業中にも色々考えていたのだけど枝葉部分はなんだかなと思いつつもきっかけとなった部分は自分に非があるし、そこからの発展でお隣さんが注意されてしまったのは不本意だなとモヤモヤしてしまった。

これは良くないなと思って営業が終わってからお隣さんの玄関越しでしばらく話して終了。
相手も一旦ため込んだものを伝えた部分もあったのか、ある程度クールダウンしていたので何故ダメだったかの理由だったり、想いも聞かせてくれた。その際に枝葉の話しの誤解も納得してもらい、改善の部分もOKをもらえた。

こんな風に怒られる時はきちんと怒られないと自分の中でどうしてもモヤモヤしてしまう。中にはラッキーとかめんどくさいと感じる人もいるかもだけど、コミュニティの中にいるのであればそのルールというのはきちんと守っていきたいと思っている。
というかそこをテキトーにしてしまうとかなり複雑な拗れ方をしてしまうと感じてしまう。特に自分は町内会に直接関わることは少なく、かつ2階にあって外から来てくれるお客様が迷った時に案内もしてくれたりしている。

こうして怒ってくれるというのは見方によってはきちんとコミュニティの中にいるものとして見てくれてるのかなと思ったりする。
そして長らく飲食の中で働いていても分かる、怒ってくれることの価値。自分に怒るだけの価値があったということ(きちんと理由があった上でだけど)

ともあれ自分の中で腑に落ちるレベルで起こり切られたというのがエゴではあるがちょっと安心できた。反省して引き締め直そう。

主に自分に向けた内容メインとなりますが、見てくださった方に何かしら響くものであればそれもまた良かったと思います。サポートして頂いた分は考えを深めるものに利用していきます。