油彩画(晩夏・沖行く貨物船)
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この建物を見て、神戸の人は アレッ⁈ と思うかもしれない。そう、この建物は、神戸の舞子浜に在る「孫文記念館(移情閣)」を描いたもので、砂浜は私の創作だ。が、創作と言ってもそれなりに理由はある。
八角三層の楼閣「移情閣」は、大正4年(1915年)、神戸の華僑の呉錦堂によって建てられた。私が学生だった頃は、砂浜の続く松林の中に立っていて、その異国的な景観、情景は強く印象に残っている。
その後、高度経済成長期に入ると、周囲は開発が進み、護岸工事が施されたりして、次第に舞子浜の砂浜は姿を消して行った。そして、明石海峡大橋建設の話が持ち上がると、移情閣は解体され(平成6年)、その数年後に現在地に移転し、復元された。
砂浜は消滅したが、私の中では、移情閣は松林や砂浜と一体となって記憶されている。この絵は、そんな私の心象風景を描いたものとも言える。
夏の終わり、砂浜に立って沖行く貨物船を見ている少女。あの船は何処へ行くのだろう。あぁ、自分もいつか見知らぬ国へ行ってみたい‥‥。少女は、かつての私かも知れない。
(追記)
大正2年(1913年)、準国賓待遇で日本を訪れた孫文の歓迎昼食会が、呉錦堂の舞子浜の別荘「松海別荘」で行われた。移情閣はその2年後に、松海別荘に隣接して建てられた。
移情閣は、一時期荒廃していたが、日中国交回復10周年を機に、移情閣を孫文を顕彰する施設にしようとする動きが起き、孫文の書や遺品等が集められた。そして、昭和59年(1984年)、「孫中山記念館」として一般に公開された。その後、「孫文記念館(移情閣)」と改称され、平成13年(2001年)、国指定の重要有形文化財となった。
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