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太宰治の生家「斜陽館」を訪ねて(2)

2階への階段
2階の廊下
2階の応接間
応接間の東側に在る母親の部屋

 母親たねの部屋だが、夫の源右衛門(衆議院議員)の政治活動の関係で家を空けることもあり、太宰はこの部屋で、子守りの越野タケとよく遊んだという。タケが津島家に来た時、太宰は2歳でタケは13歳だった。タケはここで太宰が小学校に上がる頃まで奉公をし、その後小泊に帰って、船大工に嫁いだ。タケは太宰に絵本を読み聞かせたり、近くの寺で地獄絵図を見せるなどして、人間としての道を幼い太宰に教えた。
 小説『津軽』では、その最終章で、太宰が30年振りに小泊の越野タケさんに逢いに行くシーンが感動的に書かれている。
 越野タケさんは昭和58年12月、85歳で他界された。
  
 さて、斜陽館では、この他、文庫蔵には太宰の遺品(黒いマント、文机、手書き原稿、手紙、愛用の灰皿など)が展示されている。が、全て写真撮影は禁止だった。

(参考)

斜 陽 館 の 見 取 図

 斜陽館は、太宰の父である津島源右衛門が明治40年に建てた家で、泉水を配した庭など敷地面積は680坪で、高級建材である総ヒバ造りの建物は1階が11室278坪、2階が8室116坪の豪邸だった。

 この見取図の1Fの「文庫蔵展示室」の右側(東側)に、太宰の家族が疎開で身を寄せた離れ(新座敷)が在った。     
 昭和23年6月、津島家はこの豪邸を手放したが、その際、離れ(新座敷)は直線にして90メートルほど東に曳き家された。

 建物はその後、約46年間、民間の旅館「斜陽館」となっていたが、平成8年3月、これを旧金木町が買い取り、修復復元工事をして、2年後の平成10年4月、太宰治記念館「斜陽館」として公開した。そして、平成16年12月、旧津島家住宅「斜陽館」として国の重要文化財に登録された。

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