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『あの日つけた“折り合い”を、ゴミに纏って上を向け』〜「ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある」と映画「えんとつ町のプペル」


えんとつ町は“ひとつの世界”

その中にも、それぞれの観ている
“ひとつの世界”があって


えんとつ町の、煙の外にも、沢山の
“ひとつの世界”がある。



映画『えんとつ町のプペル』に登場する“ゴミ人間”の念いを知りたくて
『ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある』を読んだ。



私自身も
この本を手に取る人も
映画『えんとつ町のプペル』を観た人も

今、試されていると感じるから。


たまたま巡ってきた
運命などではなく

こちらから迎えにいく未来を
みんなが欲している
今だから。



誰もが今、自分の夢を
心ない人たちの手で“殺されずに”
その夢と共に、生きたいと願っている。



誰でも、何者でもなかったところから、何者かへ、必ずなれる。


その道のりを支えるのは、最後まで
バカみたいに信じ続ける自分だけ。


自分を信じ抜けるのは、自分自身しかいない。



だから、待つな。
世界に用意されている競争に、参加するな。
自分の場所で
世界の常識に
疑い、抗い、屈せずに
動け。

動き出さなきゃ始まらない。



挑戦の場は、面白味のない努力ばかり。
ゴミ人間の存在は
ただ『こうすれば』の方法論より、愚直な泥臭さを見せることで、

世界から必要ともされていない存在“ゴミ人間”が、それを語ることで

『まだ分かんない』人たちへ光を差す。



たまたま巡ってきた運命ではなく
こちらから迎えにいく未来へ、一緒にいけると、教えてくれる。



大人は、大人になる過程で、
勝手に折り合いをつけ
持っていたはずの夢を捨てた。

ゴミ人間は、
皆が折り合いをつけ
捨てたゴミを纏う。


私たち大人が
大人と呼ばれるまでの間につけた“折り合い”が
ゴミなら

人のゴミ(夢)まで持ち続け、丁寧に磨き、輝かせようする存在が
ゴミ人間・プペル



自分の選んだ道を、正解にする。
その為には、世界にあらかじめ用意されている“競争”に参加しないこと。

これは
一度はゴミにし、捨てた夢を纏う私たちの
既存の世界に対する
先制攻撃みたいなもの

だから、知らない人間から
笑われ、殴られるのは当然。



笑われ殴られたことのある大人だからできる
お客さん(同じ世界で生きたい人)へ
確実に届けること。



届ける為に、できることを
全てやること。
届ける為に、出来ること以上のことを、
すべてやること。



ゴミ(夢)にも、ハッキリと目的がある。
ゴミ人間の念いは、少ない言葉でシンプルに語られる。世界が作った常識ってヤツのひとつひとつに「これは○○ということ」の認識があり、ハッキリと定義がある。
伝えたい相手を思う繊細さは、笑われ、殴られたことのある人の強さだ。



ひとつの世界の住人を、二つに分類するなら

変わることを
拒む人たちと

変わってでも
念いを届けたい人たち


かつて夢をゴミにした、私たち大人も
もう一度ゴミ(夢)を纏うなら、
煙の向こうへ、星を見つけにいける。



誰よりも大切な存在へ
見つけた星を
託すこともできる。

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