見出し画像

公開授業の45分で分かること

 今週、校内での研究授業を行います。一担任であれば、去年もしたし今年は…と毎年のように授業をみなさんに見ていただける機会はもらいにくいでしょう。研究主任が授業を公開することを求める指導主事の方もおられて、研究主任をさせていただくようになってから、自分から授業をしたいと言わなくてもさせてもらえる状況をありがたく思います。

 授業づくりをしながら、参観として見ていただく時間は45分です。その時間を子ども達とつくりながら、参観される先生方に、授業づくりや支援方法などの提案、校内研究として目指す方向性に向かっているのか、学校教育目標の目指す子ども像に近づく授業だったのか、などについて考えるきっかけをつくれたらOKだと思います。事後研では、こうすればよかった、ここはもっとこうした方がいいいという後出しのご意見はあまり的を射ていないと感じることが多いです。その授業者は、目の前の子ども達と一緒に過ごす時間の中で、子ども達と関係をつくりながら実態を把握し、どんな授業でどんな手立てを講じるべきかを毎日考えています。その授業に至るまでに、40日以上ををかけてきているのです。あるいは、授業研究という意味で言えば、その先生が教員として働いてきた時間をかけて行うもので、人間性や価値観という意味では、その人が生きてきた年月が関わっています。その上での45分だということを考えれば、簡単に否定できるものではないし、どんな若手の先生からでも学ぶところはあると思います。それは教育実習生に担当として関わり、自分の指導観を見つめなおす機会を得た経験からも分かります。否定の中で技を磨きたい先生は、自らそのような機会をつくっていくと思います。様々な先生が一緒に働く学校において、授業者に対してリスペクトしながら、その45分から学び取ろうとする意識で参観し、自分の見方・感じ方を共有する中で、授業者にフィードバックしていくことが受け取りやすいプレゼントになると考えています。参観者としても、無理な働き方の中でやっと出来上がった、準備物や貼り物だらけの見栄えのする授業や、その働き方を続けてきた人の、これが正解だとでも言わんばかりの授業を見せていただくことだけでは、参観者の先生の次の日からの授業には何も生かされないように思います。その貼り物を毎日できるのであれば、その短冊にも意味があるのだと思いますが…。周りにこうしろと言われて、自分を変えられるのであれば簡単ですが、自分のやり方が固まってきている人ほど、他の人の1回の授業では何も変わらないように思います。変わらないと決めていると感じるほどです。

 私の立場としては、公開された授業から学び取っていきましょうと、投げかけ続けることしかできません。授業者に教えてあげるのではなく、1本の公開授業から、例えば参観者が20人いたとして、その20人全員が1つでも学びがあれば、すごく素晴らしい時間になると思いませんか?そんな時間がつくれるように、今週も頑張ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?