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子どもが悪いのか、環境が悪いのか

 子どもの問題行動とされること、例えば廊下を走る、学校のものを壊す、移動中に持っているボールを投げるなどは、子どもが悪いとされる行動であり、そのことについて頭を悩ませることもある。それが自分の受けもつ学級の子ともなると、自分の指導不足や至らなさとも捉えられる。ただ、最初にも書いたように、環境によって引き起こされることにも気を付けておく必要がある。
 よくある話だが、お店で机の上に財布を置きっぱなしにしてトイレに行って、帰ってきたら隣の人に盗られてしまっていたとする。その時、もちろん盗った人が悪いのだが、財布を置いていなければ、盗ろうとする気持ちを起こさせずに済んだのである。人間は生まれながらによくあろうとする面もあるが、弱い心ももち合わせているため、両方から考えていった方がいいと感じる。
 廊下の話で言えば、そもそも何で走っていけないのかは知識として理解しているとしても、走ってしまう子はいるものである。休み時間×外までの長い道=走って移動、が成り立つ子どもは珍しくない。環境が悪いとするならば、誰も見ていない廊下にあるかもしれない。とすれば、大人が廊下に一人立つだけで軽減される。この誰も見ていない環境によって引き起こされる問題行動は非常に多い。あるいは子どもが急ぐ気持ちになりすぎないように、チャイムで授業を終える、帰る前にじゃんけんをしてさようならをしない、なども考えてもよいところである。
 ものを壊すことで言っても、本当にそこにおいてある必要があるのか、子どもが触りたくなるような場所にわざわざ置いていないかなどを考えてもよいのである。画鋲がさしっぱなしの掲示板や、地面に落ちて放置されているえんぴつなども、問題行動を誘発する芽だと思う。もしそこに画鋲がなければ友達の作品に画鋲をさすことはなかったし、壁に落書きをされることはなかったかもしれない。そこを切り取って、指導ができていなかったとだけ反省するのは少し違うように感じている。
 ボールを教室から持っていく子ども達。外に出る時は、早く遊びたい一心で外に出ていく。子によっては友達に「一緒に遊ぼう」などと、優しく声をかける素敵な行動をしている。しかし、帰る時にはどうかと言えば、持って帰るのを面倒がって「最後に触った人が持って帰ること!」と子どものルールが発動し、ボールを当て合う子ども達がいる。かと思えば、ドッヂボールの延長で靴を履き替えるところまで来てもボールを投げ合っている子、もっと遊びたかったと言わんばかりに、ボールをついたりポンポンと上に投げて遊び、落として転がしている子などがいる。もちろん全員がそうではないが、どこの学校でも見られるような姿かもしれない。これも子どもが悪いと言えばそうだろう。担任含め指導者の指導不足もあるかもしれない。ただ、持って帰る動きをなくせば、それによって危ない思いをする子や最後に当てられてボールを取りに行き、傷つきながら次の学習をスタートする子は減るとも考えられる。一輪車や竹馬などの遊び道具が共通の置き場所で管理できている以上、できない道理はない。もちろん置き場所が乱れるなどの新たな問題行動は出てくるだろうが、環境の調整で減らせる問題行動は減らしてもいいのではないだろうか。
 この環境の調節について、もし大人が同じルールで行動したとしておかしいと感じることは、子どもにも強いるべきではないというのが、最近の思いである。大人であっても、遊ぶときに自分で買った遊び道具を自分で管理して持ち帰る。が、それは自分の持ち物という条件が付け加わっている。行った先で遊び道具を借りることもある。大人でもぐちゃぐちゃにする人もいる。もし大人達がそんな議論をしているのを知ったら、子ども達はどう感じるのだろうか。これから社会に出ていく子ども達は、自分達の学校社会のルールを自分達で作っていく思いをもって動いてほしいし、子ども達に関わる大人もそうでありたいと思う。

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