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学級目標について思うこと

 学級経営という言葉は、私が教員を始めたことには、すでに広く使われていました。学級だけでなく、「学校経営」や「学年経営」などにも使われている、この経営という言葉から考えていきます。
 会社も組織も経営したことのない人間が考えている経営ですから、企業の経営者の方には、また違う考えがあるのはもちろんだと思います。
 経営という言葉について調べてみると、「目標」や「成果」とつながっていることが分かります。経営というからには、目標設定や成果を求めることはついて回るものなのかもしれません。
 学級を経営するために目標を設定することは自然な流れのように感じます。学級でいう成果とは、子どもの成長にあたるのでしょうか。私も担任を始めてから、学級目標はつくるものだと感じ、担当する学級で目標を設定してきました。
 教員を始めてしばらくは、今思うと、学級集団をよりよくパッケージしようとしていたと思います。出会ってすぐの子ども達に、どんなクラスにしたいかを問い、それをきれいにまとめて「学級目標」にしていました。
 その効果はどうだったのかというと、ほとんどなかったと思います。もしかしたら、私の知らないところで、大切にしてくれていた子もいたかもしれませんが、私自身が大切にしきれていませんでした。決めた目標を飾りにする勝手な担任だったと感じています。
 自分では作らなかった年もありました。担任を外れて、研究主任と教務の補佐のような役割で配置された年があったのですが、担任をもった先生が病休に入って、その代わりで担任を代行することになりました。代行が始まったのは5月の終わり頃だったので、ほとんど1年間関わることになったのですが、前担任がいつ復帰するかもしれないとも思い、学級目標を新たに作ることはしませんでした。そのクラスの学級目標は、前担任が決めたものだったからか、子ども達からその言葉が出ることはなかったし、もちろん私が設定に関わっていないので私が使うこともなく、卒業を迎えました。学級経営に対して、「学級運営」をしていたのだと思っています。そのような経験があって、学級目標とは、子ども達が自分たちのクラスを自分たちのものとして感じるとともに、担任自身がそのクラスに対する責任をもつ宣言であるかのように考えるようになりました。
 低学年を経験した時には、学年目標=学級目標と設定される先生が主任で、学年で目標が統一されていました。自分が学年主任になった時には、低学年でも担任自身の思いや価値観を大切にしてほしいと考え、1つにすることはしませんでした。いろんな立場や学年で学級担任をして、学級目標について考える中で、1年間預かることになった学級で、子ども達と学級という集団を考える時間をもつために必要であると考えています。このように考えるようになってから、学校教育目標も同じように、飾りにするのではなく、教職員で大切にしていくものであると考えるようになりました。
 
 子ども達には、学校生活のたった1年間を、たまたま一緒に過ごすことになった集団や担任と、快適に楽しく過ごしてほしいと思っています。学級目標は船の行く先を示す目的地だという人もいます。出会って1か月は、どんな船なのか、一緒に旅をするのはどんな人達なのか、船で過ごす決まりごとはどのようなものなのかなどを知っていきます。一緒に過ごす中で見えてくる課題や、集団のよさのようなものも感じるかもしれません。そういった課題意識や所属感から、この集団の理想を言語化したものが学級目標だと考えています。
 今年も子ども達と一緒につくりました。子ども達の話す言葉に、書く文章の中に、学級目標を感じるとうれしくなるとともに、この子達を大切にしていこうという思いが湧きあがります。そのように感じることばかりではなかった教員生活の中で、この時間を大切にしたいと感じています。

 毎年思います。この目標づくりは必要なのか。全員を求めることをどこまでしていいのか。今後、「学級目標」ってのがあったなあと、過去のものとして振り返られる時代が来るのかもしれません。今はいいと決めてやっていることが、自分の教師人生の最終判断ではないので、その時自分がいいと思うことに丸を付けながら、自分らしい教師でありたいと思います。

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