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いやいや、「穴を掘る」スポーツが存在しないのっておかしくない?

僕は気づいてしまいました。

穴を掘るスポーツが存在しないのっておかしいですよ!!!!みんな目を覚まして!!!!!!

もうこれだけで僕が言いたいことはすべて伝わってしまったと思います。優れた直感の前に理論は必要ありません。
ハンターハンターのメルエムがウェルフィンからのたった一言ですべてを思い出したように、いま僕の言いたいことは過たず皆さまの脳に突き刺さったと思います。
しかしもう長年「穴を掘るスポーツが存在しない」という事実に対して目を背け続けた皆さまの中には、いまだに受け入れられない方もいらっしゃると思います。
いえ、恥じることはありません。何を隠そう僕もそうでした。

先ほどドライヤーで髪を乾かしていたところ、「なんかボルダリングっていいよな〜」って思ったんです。ボルダリング。壁から生えた色とりどりのグロテスクな突起物を掴みながら壁を登る競技。いいですよね。

何がいいって、壁を登るという行為が何かの暗喩になっていそうでいいです。もし小説を書くことがあったら主人公にはボルダリングをさせたいです。
なにか鬱屈とした気持ちを抱えつつ日々を過ごすひとりの人間がボルダリングに出会い、壁を登りきった時に彼も人間としてある種の壁を克服しているようなそんな小説を。
まあボルダリングの説明してる時にグロテスクな突起とか言ってる人間がボルダリングのことを書ける気もしませんが。

そう、それで、他にないかなあって思ったんです。壁に登るみたいに暗喩になりそうなスポーツ。
それで、墓穴を掘るって言葉あるなあって。
あ、じゃあ穴を掘るスポーツも暗喩に使えるなあ。……!?!?ない!!穴を掘るスポーツ、ない!!!!
……という次第なんです。

いえ、実際のところ、あっても良くないですか?穴を掘るスポーツ。
スポーツの起源って、日常の遊びや動作の延長線上にあったりするわけじゃないですか。
丸いものをカゴに投げてたのがバスケの始まり、とか、丸いものを蹴ってたのがサッカーの始まり、とか、山を登ってたのがボルダリングの始まり、なわけじゃないですか。

穴を掘る行為って、人間の暮らしと密接に紐づいている行為だと思うんです。
竪穴式住居は穴を掘ってできた家でしょうし、貝塚を掘ってゴミを捨ててたでしょうし、井戸だって穴を掘って作ったはずじゃないですか。
こんなに穴を掘るスポーツが発生するための土壌があるのに、その土壌に穴を掘らないなんて…。

これって僕が始めればいいんですか?穴を掘るスポーツ、「ANA」をさ。
だって、おかしい以上にもったいないと思うんです。
子供の頃ぼくらあんなに楽しく穴を掘っていたじゃないですか。お友達と一緒にただ穴を掘って1日を潰せたんです。あの楽しさを大人になって味わえないなんて。損失です。僕らにとって、あるいは世界にとっての。

とはいえ、穴を掘るという行為は僕らに否応なく暗い行為も想起させます。お墓を掘ることや、トンネルを通り抜けること、ただ穴を掘らせて埋めさせるという無意味な行動を強いる苦行が第二次世界大戦中の収容所で行われていたとも聞いたことがあります。
「穴」は人類と切っても切り離せないものでありつつ、どこか仄暗い印象も与えるのです。だとすれば本能的に僕らが穴を掘ることから遠ざかることも必然なのかもしれません……。
「ANA」、やりたくなくなっちゃいました?最後に墓穴を掘っちゃったかもしれませんね。

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