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世界観を問う44問



44の質問に答えてみました。
質問のチョイスは価値観が分かれる良い指標になると感じたし、答えていて楽しかったです。


問1.<科学>

科学に何を期待しますか?あるいは、何も期待しませんか?科学によって人類が発展したり謎が解明されることを望みますか?もしくは、科学の進歩が人類に不幸をもたらすだろうと考えますか


科学は思考の中にある宇宙の証明だと考えてる。
大昔、科学はなくても人間は動物と自然の繋がりを信じ暮らしていた。
人間の知能は発達し、物質的豊かさ、知識を求め、より良い暮らしのため、科学は発展し、私達はその恩恵を受け続けている。
しかし見えないものを見える化する事で人間は物質的に豊かになるが、見えないものを信じなくなり、本能的な繋がりをすっかり忘れてしまった。
精神の繋がりをなくし何も満たされない自分、何のために生きているのかわからない思考放棄の人間はこれから増えていくだろう。

科学は人間の理想を叶えてくれる未来だ。
私たちが見たいと思っても見えなかった詳細をどんどん科学は明らかにしていくだろう。
そしてこれも同じく、科学に頼るあまり想像力が欠落した人間はこれからも増えていく。
笑い話みたいだけど、科学は人間の知能と想像力の結集ではあるが、人間の想像力そのものや精神の繋がりにおいては退化させている。
生きづらくて精神が救われない人間が増える。
だから救いとなる宗教は必要になるだろう。
人間の想像力と思考放棄の結末。
だから科学と宗教は利害が一致してるのかもしれない。
よくあるAIに管理される人間の姿だね。
だから宗教によって精神も管理されれば、やっぱり惰眠は続くだろうな‥

人間は世界の全てを管理しているつもりだが、もっと大きな流れに管理されている自分自身がいる事を知らない。
私自身もその流れの中にいる。
だから世界をとても滑稽に思うよ。
果たして科学が脳や人間の進化にどう影響していくか、人間同士の関係性や意思決定はこれからどうなるのか楽しみではある。


問2.<年齢>

何かを始める時、何かをやめる時、人と人が友愛を築く時、同盟を結ぶ時、人が人に指示をする時、人が人を師と仰ぐ時、人が人を蔑む時に、年齢はどれほど関係すると考えますか?あるいは、関係しないと考えますか?


関係ない。
何を言い、何を考えるかのみ。


問3.<故郷・出自>

生まれ故郷を捨て去ることにためらいはありますか?愛国心や地元愛といった感覚は持っているでしょうか。また、その人の出自(○○生まれ、××育ちなど)を何かの判断材料にすることはありますか?


「生まれ故郷を捨てる」の意味がわからない。
国同士敵対するという事かな?
事情があるなら仕方がないのでは。
愛国心というか‥地球、宇宙‥
私は何も持たない。
そこで生まれた事実は何も変わらない。
何も判断材料にはしない。


問4.<定量的な評価>

統計やテストの点数、知能検査のスコアなど、数値による評価は信頼足り得るものだと思いますか?また、そういった数的感覚には長けている方ですか?


統計は参考にするけど、それが正しいものかどうかはまず疑うし、そのまま信用しない。
知能検査や心理検査はどうだろう‥参考指標に過ぎないのでは?
その時々の感情や意識レベルで結果が左右されるならあまりあてにならない。

データや数字は好き。
データは傾向や時間の流れを見るのに非常に参考になるし、そこから推測できることも多い。
でも細かい計算は嫌いでお釣りや割り勘の計算はめんどくさい。その辺りはいつも適当。



問5.<マネーウォーズ>

今後食べるに困らないだけの大金を手に入れた場合、それを元手に何か挑戦しようと思いますか?それとも悠々自適に余生を過ごしますか?また、投資や株などのマネーゲームに関心はありますか?


副業の創作活動を広げる資金にする。
でも本業は辞めない‥から手が回るかな。
両立させてしばらくやると思う。
投資や株は前のめりになるほど興味はない。
この方向でやってたらお金は増えるだろうという考え方。
悠々自適はつまらないな‥
結果は後でついてくるし、お金はそんなに必要じゃない。
必要な時に必要なだけあれば良い。



問6.<目が醒めているとき>

目が醒めているとき、意識は常にハッキリしていますか?「気が付いたら○○していた」とか「何をしようとしたか忘れた」ということはありますか?或いは、白昼夢を見たりしますか?



はっきりしてるとは言い難い。
基本的に宇宙と繋がってて、そこで物事の時間(これからどう動いていくのか)をはかってる。
だから「気付いたら〇〇していた」は至極当たり前にある。
思考は違う場所に行き、手足は勝手に動いてるような感じ。車に乗っててもそう。
私の扱う時間と自分の身体感覚との一致は難しくもあるが、これを一致させる事で私は時間を止めて物事の動きを正確にはかる。
わかりやすく例えるなら、動く車に飛び移るタイミング。
車の動きを予測してるから私はちょうど良く飛び乗れる場所でただ待っているだけ。
「来るべき時間に自分の身体を持っていく、合わせる」に近い。
リアルで動きを推測し、ちょうど良いポイントまで動いて来るのを待つ。
そしてタイミングを見て車に飛び乗る。
車はこのままどう走っていくか‥乗りながら他の車の動きも同時に読んでいく。
どこかで車が衝突すると考えれば、衝突の原因を考える。それが今後車にとって良い影響になるならあえて衝突させ、悪い影響なら別の方向に変えるように働きかける。
車に乗りながら繋がりや背景を読んでいき、道をどう進めるか時間と相談する。
道は私が作っているようで、実は道に沿って私が合わせているだけにすぎない。
向かう方向やタイミングはもう用意されている。
未来を変える事になる道の分岐は、私にとってとても重要で、そのポイントにのみ集中する。
だからそれまでの微細な動き(問題)を「これは後々影響しない」とバッサリ切り捨ててしまう。
方向は精神の向き(本心への向き)でもある。
逆行していれば精神の不安定さや衝動性を抱え‥問題はそれだけ多く存在する。
その人らしい方向があり、その人に沿った道がそれぞれある。


潜るレベルが深いほど、目はかなり固まってるから、どこを見てるか‥焦点はどこにも合っていない。
人と真剣に会話する時はよくこうなるし、仕事でも集中すれば自然にそうなる。
抽象背景を探り、勝手に分析してしまう。
この時、現実世界はあまり見てないし、耳もあまり聞こえない。深く‥とても集中するから、私には無音になる。
シンとした無に私はすぐに放り込まれ、そこに落ち着く。「あぁなるほど‥つまりこういうことか」と1人納得してる。
誰かに呼びかけられて「え?」とリアルに戻ってくる。
この時、衛星中継のような反応のズレとともにリアル時間にもズレを感じる。
深く潜るほど、帰る時間はズレて反応は遅くなる。最近頻繁に深く潜るようになった。
浦島太郎みたいだなぁ
ふと気付いたら老人だった‥みたいな事になるとそれはそれで面白い。


白昼夢‥現実的に繋がらない夢や空想は抱かない。浮かんでも私の脳内からただちに抹殺される感じ。これはこれでなんだか寂しく悲しい気もする。私の頭は現実的にそれが可能か不可能か、なので夢が広がることはない。
もしそれが淡い幻想なら現実逃避だと思う。


問7.<四季>

季節の移り変わりに楽しみや美しさや情緒を感じたりしますか?


季節の移り変わり、その流れは情緒的で美しいと思う。
景色を自分の心に喩えて表現すれば、美しい情景を重ねながら、その時々の自分の感情を伝えられる。月の明かりも川の流れもまわりに見える木々も季節によって天候によっても美しさは違う。
私の心の景色が移り変わるように、情景も巡り巡っていく。
たとえ季節がまた巡って来ようとも、それは前と同じ景色ではない。
人の心情も常に変わっていくんだ。


問8.<殺意>

到底自分が納得できるものではない理不尽な理由で、ある人物から侵襲的な行為を受けた時、その人物を殺したらいいと考えたりしますか?


自分が納得できないものは自分の問題。
相手がどうこうではない。
その衝動を抑えられず行動を起こすのもやはり自分の問題。

なぜ憎い相手を殺せば済むのか?
なぜ死刑になれば満足なのか?
その解釈は、生死によって、ただ単に自分の怒りに決着をつけたいだけなんだろう。


問9.<縁起や神事>

良い意味でも悪い意味で信じているジンクスはありますか?また、先行きが見えない展開になったとき、願掛けや神頼み、占いをしたりしますか?


興味ない。
ジンクス‥それで過去数回上手くいったとしても、次全く同じ状況なんてあり得ないのに‥それに頼るのを不思議に思う‥

よく試験前や試験が終わってから「結果が悪かったらどうしょう‥」と言う人や願掛けする人は多いが、そんな事あれこれ考えても意味ないのでは?‥と思ってしまう。
そんな不確実な可能性を巡らすより、今できる精一杯をすれば良いと思う。


問10.<趣味>

活力が湧くほどの趣味を持っていますか?持っていないとしたら、欲しいと思いますか?或いは、無趣味でも問題ないと思いますか?

私の人生それでしかない。
ずっと仮説と謎を追ってる。
好奇心と探究心で生きてる。


問11.<嘘>

自覚的に嘘をつくことはありますか?あるとしたらそれはどのような理由、どのような状況で嘘をつきますか?


嘘、どの段階でそれを伝えるかによって「言うべきか言わないべきか」私はこれをいつも調整する。
物事には分岐があり、然るべきタイミングがいつもある。
ならば、わかっていて言わない、それを知らないというのは嘘をついている事になる。
予測で述べた事が真実だとしても、現実的にはまだ仮説なのだから嘘になる。
推測で生きる私は現実においては大嘘つきで、この世界に生きているともいえる。
そう考えるとちょっと面白いな。
現実にいるようで私はいないんだ。


問12.<謙虚であること>

あなたは謙虚ですか?謙虚であることは必要でしょうか?


謙虚である事は大事だと思う。
卑下ではなく、相手に敬意を示す態度は自分も相手も尊重する事になる。
立場や条件によって態度や言葉を変える人は自分の能力を過大評価する必要があるんだろう。

動植物にも決して偉ぶらず、教えをこう姿勢であれば良いと思ってる。彼らは非常に多くを知っているから。


問13.<ファッション>

寒さをしのいだり、局部を隠したり、社会的な記号(制服)としての役割以上の意味がファッションにはあると思いますか?違う表現で言えば、装飾を施したファッションをしますか?平たく言えば、お洒落をしますか?するとすればそれは何故ですか?



洋服はその人の個性を表現でき、相手の印象を決める重要なものだと思ってる。
しかし私のお洒落は自分を魅せるためというよりその場にふさわしいかふさわしくないかで決められていて、訪問先や相手によって変える。
つまり、お洒落は好きだが私の個性は洋服では見つけられないということ。


問14.<性愛>

恋愛対象としている性を崇めたりしますか?また、その性から何らかの施しを受けることによって、自分が抱えている問題が解決することを期待していたりしますか?


ちょっとよくわからない。
崇めることも施しを受けようとも思わない。
自分の問題は自分で解決する。
性に囚われず対等でありたい。


問15.<意見形成>

例えば「宇宙人は存在するか?」というテーマのディベートにおいて、たとえあなたが強く宇宙人の存在を信じる立場であったとしても、存在しない立場に立って意見を形成することはできますか?


「信じる信じない」みたいな曖昧ではなくて「いるかいないか」でやるなら議論したい。
どちらの立場であっても真剣勝負で意見は形成する。相手がどう出るか読むのは楽しい。


問16.<サバイバル>

公的機関の援助を受けたり貨幣でアウトソーシングするのではなしに、自力で生存を獲得する術を持っていますか?狩りをしたり野菜を育てたり、安寧の宿を確保することなど。野生の世界で生きていく自信はありますか?


野生の本能を生かせるなら身を置き自分を試したい。知恵と本能で動物と共に生きることは私の理想でもある。
動物と交流がしたい。たぶん道には迷わない。狩りをして自分で最初から作り上げ自然とともに生きていくのは楽しそう。


問17.<夢(睡眠時)>

眠っているときに見る夢に何か特別なメッセージがあると思いますか?


夢から心理状態の分析ができると考えてる。
特別なメッセージは‥よくわからない。
記憶の修正を睡眠中にしているので、よく眠るほど思考の偏りを取ってくれるのでは。
朝起きればスッキリして、それまで考えてた問題について閃くこともある。
だから睡眠は大切。


問18.<暴力・猟奇的な表現>

殴る蹴るなどの暴力や拷問、出産や流血、内臓が露わになるなどのシーンを観ることで気分が悪くなったりしますか?或いは逆に興味があったり、興奮を覚える方ですか?


現実ではそのまま観察するだけなので比較的平静でいるとは思う。
リアルではあまり怖いともならないが、映画やアニメ、ゲームなど画面の中の小さな世界では観察不十分のためか感情がぶれて、見ていて辛い時も多い。
だからホラー作品は観れないが、現実的な現象の検証には向かう。
現実的な観察が私の想像にはとても大切。
グロに興味も興奮もなにもない、そこに自身の感情は伴わない。


問19.<歴史改変>

現在、或いは未来のために、過去に起こった出来事をなかったことにしたり、修正を加えるのは許されることだと思いますか?


許されない。
それがあっての今だから。
現実はどう足掻いても変わらない。
修正したい発想が私にはよくわからない。
現実を受け入れておらず、言い訳をしているように思えてしまう。


問20.<個人と集団>

個人プレイとチームプレイ、自分がより輝くのはどちらの方ですか?また、全体論における「ある系全体はそれの部分の算術的総和以上のものである」という考えには首肯しますか?


個人プレイ。自分でルートを設計し自由に動けるから。チームプレイは目的や理想が同じでないと難しいと感じる。
チームだから行動を縛るのではなく途中で離脱しても、また入ってこようがある程度個人の自由を保つ。その方が最終的により良い者が集まり個人の能力が発揮されチーム全体としての利益になる。

ホーリズム、大切だと考える。
全体の繋がりを見ないで詳細にこだわる、片方は当てはまるがもう片方は違う、など全体を見渡せないから繋がらない。
見える範囲で納得してしまうから偏りが生まれる。思考も同じ。
時間の流れも生命の流れも身体の細胞も社会も全て繋がりあって連動している。
私達は世界の歯車にすぎない。
こ都合主義、目的意識の欠如、全体的視野の欠如は自分から見える範囲しか意識しておらず全体を見渡せていない。
繋がりと背景‥把握しないと目的が自己中心的にはなってしまう。いつも気をつけてる。


問21.<食事>

食事に生命活動の維持以上の意味を見出していますか?例えば、それを一つ飲むだけで空腹も栄養も満たせる完全栄養食のカプセルが発明された場合、今後の人生はそれを飲み続けるだけでいいと考えますか?


それは便利。私はそれで良い。
でも他の人は食事に満足したい人が殆どじゃないかな。だから外食産業があり、食事しながら会話も広がる。もしカプセルになれば人間関係の気薄さは増え、安心感も楽しみもなく孤独死も増えるだろうな。

食べたい人が食べ、眠りたい人が眠る。
食事や睡眠を仕事として自分の代わりにやってくれるなら良いねと以前まわりに話した事があった。
もし脳や身体機能を他人に依頼し共有できる事ができれば食事代行とか、そんな仕事も成り立つかもしれないなんて考えた。
代理出産は、子宮を借りるという意味で、まぁこれに少し近いか‥


問22.<他人に期待すること>

他人に期待はした方がいいと思いますか?それともしない方がいいと思いますか?



「他人に期待する」とは、言ってしまえば自分の理想を押し付ける事になる。
「期待してるよ」この声かけはある人には活力になるが、別の人にとっては行動の自由を縛ってしまう。
「自分の自由が奪われる」のは、おおよそこの他人(特に親)や社会からの無責任な期待だ。

「期待」というポジティブなイメージの言葉だが、責任の押し付けにも取れる。


例えば、山登りにチャレンジしようと思い立ちワクワクしてる人に「じゃあ、いつかエベレストに登れると良いね」なんて言えば、その人にとっての楽しいチャレンジが一気に目指すべき目標に置き換えられてしまう。

「いつかエベレストに登る」という高い目標のために、楽しみで始めたにも関わらず、それを達成できないと「できなかった、続かない、自分はダメだ」と悲観する。
1人芝居の悲観ループに陥るのは、自分のできるできないの力量をきちんとはかれてないから。

そんな人が他者に対して、己の目標を期待という形で押し付けるのは残酷だと思わないのだろうか‥
だから期待はせず、その過程を見守る。
案外結果などどうでも良かったりする。
(↑これは他人に期待するという意味において)
自主的な行動のやる気や取っ掛かりが大事だと思うし、それぞれペースが違う。
まずは決断から逃げていれば何も始まらない。
そして自分ができる事、やりたい事をやる。


問23.<教育1>

スパルタ方式は実を結ぶ教育だと思いますか?


反対。
行動の動機が「恐怖」になるから。
己の恐怖に勝つために外部から恐怖を与える。これは成長とは逆アプローチ。
恐怖に縛られると人間は感情を失った人形のようになる。つまり自分で考えて動くことができないが命令されれば的確に動く。
国家や指導者側からすれば扱いやすく洗脳しやすい人間になる。都合が良いね。
ただし、人間的に成長した上でのスパルタは軍隊なんかで統制は取れるのかな‥
けれど、国家への忠誠心とよほどの精神力がないと抑圧されると思うので組織内部でのイジメは酷く、倫理観は欠落すると推測される。
強い者に押さえつけられた者は、自分より弱い者を押さえつけにいく。


問24.<教育2>

飛びぬけた学力や才能を持った生徒がいた場合、学校側はその生徒に特別な措置を取るべきでしょうか?それとも足並みを揃えるのが大事と一律的な教育を受けさせるべきでしょうか?



飛び抜けた学力や才能があれば、環境なんて整えなくても、やりたい事に夢中になるし自分から嫌でも飛び抜けていくだろう。
一律的な教育を受けても独創性は何も変わらないし、環境に影響されて、それが大人しくなるようなら元々飛び抜けてもなかったという事。

学べる場も学ぶ年齢も自分次第。
いつからでも遅くない。
環境や境遇を言い訳にしてる人は山ほどいる。
3歳からピアノ習わせてれば誰でも一流のピアニストになれんのか?って話。
それこそ子どもの才能を外部の期待によって潰されかねない。

個性や才能は、本人の「好き」が集まって形作られ、それでようやく強固になる。
だからその過程に至るまでに、外部や教育によって大切にするものを「嫌い」「使命感」「期待の押し付け」に感じてほしくはない。
その時点で発想や創造の自由、子どもの夢を奪ってしまう可能性がある。
だから生徒の意思が自由に尊重される環境なら、才能を伸ばせるんじゃないかなと思う。

いずれにしても「天才の基準やルート」に意識的にはめていくのは子どもの才能と希望を潰しかねない。
ギフテッドもこれに関しては認識が偏らなければ良いなとは思う。
分類は差別や憎しみを生むきっかけになりやすい。「ギフテッド」という言葉が一人歩きし「これは救いだ」と夢にすがりだす。
MBTIもそう。価値観の違い、思考の指標であるのに‥憎しみや嫉妬、迷いを生んでるんじゃないかのかな。
全て自分と他人を比べるから生じる。
優劣をはかるための指標ではなく、自分を信頼するため、自分を知るための指標なのに。

「うちの子はギフテッドじゃなかった、あの子に比べてダメだ」のような軽率な解釈と優劣を生みやすい。
「うちの子には才能がある」と過度に思い込み圧力をかければ子どもの可能性はそれで潰れる。英才教育も親の期待の押し付けだろう。
そんな事子どもが本当に望んでいるんだろうか?

生徒の好奇心の自由を奪わない環境の配慮は必要。それが大大前提にある。


問25.<婚約>

人生におけるイベントとして、結婚はごく当たり前のことだと受け入れていますか?また、結婚における一夫一婦制は番いの形として理想的でしょうか


当たり前でもないかな。
お互いがこの人だと決めたなら結婚は良いと思う。心の繋がりはとても大事だと思うし。

一夫一妻、逆にこれに皆縛られてるから浮気が不倫だどうのって騒ぐんじゃないの?とも思う。争いの元になるって事はこれで満足しない人もいるわけで、別に制度にしなくても良いのかもしれない。
しかし、わざわざ制度にしてるという事は欲求が抑えられないか、相手や子どもに責任が取れない人達のためにあるという事で‥
双方勝手にしてくれという感じ。


問26.<知識と認知>

知識によって世界の捉え方は変わると思いますか?例えば植物や魚の名前、歴史的経緯、その作品が生まれるまでのバックボーン、作者の経歴など。


知識は多くの事を教えてくれるかもしれないけど所詮それは誰かの観察やデータ、個人の思考によるもの。その形をコピー機のように写してるんじゃないかな。
もしサラッと読んで終わってるなら、実は自分で何にも考えてないんじゃないのかと時々思う。知識だけでは知恵にはならない。

例えば図鑑を見て、植物の名前を知り実際に観察し検証したのか。
作者の経歴じゃなくて、私は作者がその本の内容をどう導いたのか、そっちの方が気になる。
本に書いた作者の動機が知りたいね、その好奇心の背景を。そうすれば作者が「どこで生まれた、どこの大学出た」のような一般情報よりもっとその人自身の事を深く知れるじゃない?

世界の捉え方という意味では、「知識を自分のものにしたかどうか」で決まると思う。
さらっと読んでもすぐ忘れてしまうし、文章をそのまま記憶するのともまた違う。
自分の頭の中に落とし込み、咀嚼すれば作者の解釈から別視点を獲得できる。
そうすれば物事が作者視点で比較でき、自分のものといつでも比べられる。あの人ならこう考えこう動くだろうと推測できる。
自分とどこがどう違うのか、この人はこう考えるけど私はこう考える。だから、こことここは合わないが、ここは一致する。
解釈と視点を増やすごとに解釈の幅が広がる。
それだけ世界の捉え方が変わる。
だからあらゆる方向から検証できるなら、それを得るための幅広い知識は大切だと思う。


問27.<学習>

自分が正しいと信じていた手法が通用しないと悟ったとき、柔軟に考えを変えることができますか?それとも訂正せず愚直に進むことの方が多いですか?


通用しないと悟った時点で即変更する。
柔軟にならずに目標にこだわるのは、未来において損失でしかない。
通用しないとわかっても自分の手法にこだわるのは、結局自分の思い通りにしたいだけではないかな。
自分の正しさにこだわったり、柔軟性に欠ける人は自己主張が強いだけで、建設的な話し合いにならない。
それでは確実に方向性を失っていき「こんなはずではなかった‥」という結果になるのは想像に容易い。

良いと思ったアイデアや他の考えには素直に乗り換える。
それで自分の解釈も視点も変わり、より良い経験値になるから自分にとってプラスでしかない。


問28.<革命>

世の中に革命を起こしたいと思いますか?或いは、誰かが革命を起こすことを期待していますか?それとも、今の世の中には満足していますか?


これは誇大妄想の末期だと思う。
革命を起こそう!なんて発想の前に、淡々と自分ができる事に取り組めば良い。
世の中の不平不満から社会に抱く理想は、自分の中だけで誇大化させやすい。
実際自分が行動する中で本当に変えなきゃいけない事に気がつき、現実において決断するものではないのかな。
それが大きな変化を促すものだったなら、その行動が後に革命と言われるだけ。

世界ではなく、自分自身を征服せよ。
デカルト


問29.<快楽>

酒池肉林とも言うべき快楽の海に溺れたいと思うことはありますか?快楽とどう折り合いをつけていますか?
(本来、酒池肉林に肉欲の意味は含まれていないようですが、ここでは含めています)


溺れたいとは思わない。程々で良いのでは。
快楽が悪だとも思わない、それは自然なことだから、抑圧するとかえって後々大変になる。
大切なものに気付けているかどうか。
心の寂しさを快楽に求めるのは、過去の問題の先送り。
意思の弱さは過去と自分を受け入れているかで決まる。
依存とはそういうものだ。
自分の価値観、大切なものを認識しない限り快楽と依存のドツボにハマっていく。
逃げは常套手段になっていくだろう。
安易に気持ちよくなる方法や、苦しみから救われる方に流される。
誰かに助けてほしいと心の底で叫んでる。
「仕方がなかった」と言い訳しては、また繰り返す。
助けるのは自分自身にしかできないのに、気がついてない。

快楽との折り合い‥私はグリップにならないようにバランスを取る事かな。


問30.<読書>

読書に何を求めていますか?本を読んで得られるものとはなんでしょうか?また、本を読むことと実際に体験することとではどちらにリソースを割きますか?


知識の質問で記入したから省略。


問31.<誰も知らないわたし>

寂しさであっても承認欲や自己顕示欲であっても、もっと私を見てほしい、という気持ちはありますか?


「自分を見てほしい」はあまりない。
承認欲求が元々あまりないのかもしれない。
意識的な繋がりがあるから孤独感もさほどない、‥というか孤独はみな当たり前だしね。
自分に注目されると恥ずかしいし、全体を見渡しにくいから私は影を好む。
承認欲や自己顕示欲が人間にどう影響するのかどんな言動を起こすのか、何が問題かについては非常に興味がある。
人間の本性の引き金がどこにあるのか、そういうのに私はとても興味がある。


問32.<機械>

機械や兵器、ロボットにロマンを感じますか?機械の扱いは得意でしょうか?また、自分のことを機械の様な人間だと思ったりしますか?例えば、人間の応答より機械の電磁的なシグナルの方が信頼できると考えたりしますか?


車や機械には興味はあるし、ロマンも感じる。
けれど実際教えてもらっても私には扱いが難しい。見えない構造について私は想像で解釈するが、例えば車のエンジンなど見える構造には弱いのかもしれない、だから機械に詳しくて修理できる人は素敵だなと憧れる。


私は生命の流れや時間とか‥自然にある繋がりを感じるから電磁的シグナルは、私の持つ繋がりを妨害されるようで違和感がある。
都会や人混みはあまり好きではない。


問33.<意味・解釈>

一意に定められ、解釈の余地が生まれない表現は好きですか?もしくは、「どう受け取るかは鑑賞者の自由」と受け手側の想像力に委ねたり、起承転結がないような、意味を空中に放棄したような荒唐無稽な表現の方が好きですか?



解釈の余地が生まれない表現、詳細に心理背景が説明されたようなものは、こちらが想像しがいがないから読んでて苦痛になる。
最近のだと「傲慢と善良」
アニメだと「ヴァイオレットエバーガーデン」
どちらも人気作品だけど、背景の説明が多くて過去の思い出や感情的な振り返りが細かい‥その描写、こちらの想像解釈でよくないかと退屈になってしまった‥絵は美しいんだけどな‥
申し訳ない
あと、「傲慢と善良」については主人公とそのまわりの結婚や幸せに対する価値観や基準が私と違いすぎて主人公に心を合わせにくかったのもある。


意味を空中放棄した作品、意味不明、難解なほど想像が膨らみ面白い。
表現から狂気や独創性を感じるものにとても惹かれる。
著者の心に抱える闇を垣間見るような気分。
そしてそれは何か、何がそうさせたのか知りたくなる。
こういう昨品は人によって解釈が違う為それを見て、この人はどのくらいの深度かな、どこからこの作品を見てるのかなって‥解釈からその人の視点探る楽しさもある。
その視点が新しいものなら私はとても興味があるし、それがその人の私の興味になる。
これが好意なのかは分からないけど、新しい解釈をくれる人が私は好きだ。
「どの場所から世界を認識しているか」これが私はとても知りたいんだろう。
そして、作品を考察するのも楽しいから考察好きな人とは話が合いやすい。


問34.<グローバリズム>

地球というスケールで物事を考えたりすることはありますか?



いつも考える。
主語が大きくなることが多く、一見関係ないような関連性を他に見つけて話に夢中になる。
そうすると、世界や物事は繋がってるのかと気付いてまた面白い。
右が動けば左側で別の分野の動きがある。
別の視点からの意見、可能性の話に乗ってくれるととても嬉しいし、そこに都度詳細な知識を持ってる人は凄いなと感心する。
xNxPと話すとNeの良い影響と新たな視点、外の可能性に心地よく気付かせてくれる。
お互い否定せず話をしてて気持ちがいい。
前を向く未来の可能性をお互い閉じる事はない。
想像を想像で答えるとはこういうことかとよく思う。


問35.<命の平等さ>

イヌの死骸とヘビの死骸とサカナの死骸とゴキブリの死骸とニワトリの死骸とヒトの死骸にあなたは区別をつけますか?


死んだらみんな土に帰る。
だから同じ。


問36.<相性>

MBTIの様な人間を類型するツールが、例えばマッチングアプリにおいて相性のいい相手を効率よく探すために使われることに対しては肯定的ですか?否定的ですか?また、MBTIのタイプとは無関係に、人間と人間の関係性に相性というものは存在すると思いますか?



相性はあると思う。
実際私は価値観の違いで、非難を受ける事もある。
重視するところが違うからね、それはそうだ。
だから自分の考え方を口に出す出さないは慎重になる。
私の言葉は多くの人の価値観の軽視に見える事もある。

タイプで相性はかるとしても、診断で出した答えが自分タイプではなかったり、検証もしないなら診断結果は正しいと言えない。
ならそれで相性見ても何の意味もないし、こじつけて満足するなら、所詮星占い程度でしかない。

無関係にお互い相性を確認し合った方が早くて確実だと思う。
自分の価値観をどれだけ相手に重ねられるか、寄り添えるか‥相手と尊重の認識が同じかどうか‥それが重要かもしれない。


問37.<人間で非ざるもの・ヒューマニズム>

あなたは人間のフリをしていることがありますか?

人間のふりか‥色んな意味を含むなら日常的に。


問38.<勝負>

勝負の際は貪欲に勝利を欲する方ですか?そうではなく、自ら望んで敗北を選んだりしますか?また、勝つか負けるか分からない勝負に挑むことはできますか?また、戦う相手は自分と自分以外のどちらの方が多いですか?


真剣さにもよるんじゃないかな‥
私はスポーツにおいても勉強においても勝負は好きじゃない。
勝ち負けはその時の真剣さや集中によるし、勝敗も別にこだわらない。
勝敗にこだわらず、真剣に良い勝負だったならそれで良い。
でも自分の大切にするもの(理想の部分)において挑まれたら、それは負けるわけにはいかない。
そういう勝負って自分との戦い、決して諦めないで続ける長期勝負になる。
自分に諦めたら、何で勝とうが全部負けになる。


問39.<政治>

投票には行っていますか?行っていませんか?それぞれの理由は何でしょうか。また、行くべきだと思いますか?行かなくてもよいと思いますか


行く。
でも投票したくない人ばかりの時もある。
政治には興味は持っておく方が良いし、投票しない人が政治について意見するのもおかしい。
でもそれを「行くべき」と私は別に言う立場でもない。そんなの自分で決めれば良い、大人なんだから。


問40.<死>

死ぬこと以上に恐れているものはありますか?また、観念的な死に囚われたりしますか?



ない。死に魅せられるのは恐れや不安からだと思ってる。今の心理不安から死ぬ事によって解放されたい。死が全てを解放することを人間は本能で知ってる。
だから中途半端に絶望する人は、かえって死に魅了されやすい。
生きたいと本心は願いながらも、死を夢見るなんて矛盾してる。
現実逃避による矛盾や精神の甘えに、私はよく気がつく。
だから私はまわりの人にとって、認識はかなり厳しくなる。
甘えを許さないという事はないけど、言動の時間的な矛盾にすぐ気がついてしまう。
そのまま言葉にすると野薔薇の鞭で打つかナイフで切り刻む事になりかねない。
だから私は多くを沈黙する。

絶望するなら時間に、今この瞬間に覚悟を持つしかない。


問41.<倫理>

人にやってはいけないことなどないと思いますか?



例えば「人を殺してはいけない」は誰もが理解するが、なぜ殺しちゃいけないのか。
法律で決まってる。
けれどそれだけじゃ曖昧な状況には対応できない。
個人の倫理的な判断が試される。
だから常になぜそうなのか、倫理については考え続けるようにしてる。
だから答えやマニュアルを持たない。
独裁者が殺せと命令したから、敵だから、置かれた環境によって殺して良い理由なんていくらでも加えられる。
自分の倫理基準が曖昧だと意思と決断がブレる。
だからその時々で「私はこうする」という意思が持てるようになりたいな。
だから私は自分に問い続ける事を選ぶ。


「みんなに迷惑かけるから騒いではいけない」もそう。なぜ迷惑なのかを理解しないと「みんなそうだから、当たり前だから」と騒いでる人に注意しても、注意された側の理由や背景を正しく考慮されてない。
それでは、騒いだ人を見ただけでイライラし文句を言うようになるだろう。
心は視野を狭くして、己の善と理想であるこだわりを押し付けだす。
「みんな」って本当にみんななの?
自分がその行動にイラついてるだけでは?
障害や何か理由があって騒いでしまう人もいるということ。それと同時に「殺人」にもその人の心理背景や過去は必ずある。

もし騒ぐことがあってもまぁそういう時もあるよね、そのくらいで良い。
電車もバスも騒いで良い理由は見当たらないけど「迷惑だな」と注意する前になぜその人はそうなのかをまず考えたい。
誰かに危害を加えるなら、その時の判断で行動を止めれば良い。常にその状況次第で自分で判断し動く。ただそれだけ。
「騒いだら迷惑だから注意した」
「〇〇はこうだからこんな人」
「これだから男は‥女は‥」
「殺人犯宅から大量のゲーム機が‥」 
「やっぱり精神疾患だった‥」
表層の繋がりだけを捉える事や一方的な決めつけに違和感を感じる。
その認識そのものが偏見になるから。

だから質問の答えは「ない」。
人間には善も悪もどちらもある。
自分の善にこだわるから悪を許せなくなるんだ。


問42.<繁殖・遺伝子の継承>

仮にあなたの代であなたの家系が途絶えることになったとき、そのことに後ろめたさはありますか?


家系云々については全くない。
家系は象徴でしかないからね。
先祖が〇〇と聞いても「へぇ」とはなるが、そればかりに囚われてたら自分らしくは生きられない。
過去その家がどうだったかなんて、今の自分を左右する何かになるのか?
縛られず自由に生きれば良いと思う。

家柄より命を繋ぐ方が大事。


問43.<運命・越えられない壁>

運命に対して前向きですか?後ろ向きですか?それとも、運命などないと考えますか?越えられない壁などありませんか?


運命を変えられると考えているのは私達だけで、ただ決まった時間の流れの中にいる。
意思決定と行動により未来は決まり、それが過去であり自分の足跡になる。
過去は自分の言動の責任において作られる。
だからそれをいつまでも否定してると、迷いだし次の決断ができず、動き出せない。
歯車は動かず、生きてるようで死んでるような惰眠は続くんじゃないかな。

道が決まっているなら前向きに生きるしかない。生きるなら後ろを向いても仕方がない。
私達に越えられない壁なんてなく、越えられるから壁はそこに用意されてる。
悲しい運命だと嘆くのも、それを受け入れ挑むのも自分次第。常に試されてるだけ。


問44.<正解>

普遍的なただ一つだけの正解を求めていますか?それとも、そうではありませんか?



真実を常に追いかけてる。
それが生きがいであり好奇心のままに。
私のありのままの姿。
しかし安易にこれだと決めつけはしないし、私は緻密に人生をかけてそれを証明していくだろうと思う。
だからそのために説明するし、警告もする。
そして自らの変化を喜んで受け入れる。
それが思想であり私の道だから。

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