改革(日本社会のこれから)
所有権と占有権
所有権の絶対
これは近代社会の特徴である。と学者は言う。
会社とは株主のものである。
小室 直樹氏は、日本の会社は機能集団ではなく、共同体になっている、と嘆く。
共同体とは、昔の村のような団体である。
しかし、私は考えた、企業が利潤追求のためだけの、機能集団であるというのは、特殊アメリカだけの話では無いのか?
日本の会社においては、株主は会社を所有していない、会社を所有しているのは、経営者と従業員である。
私が考えるに、日本の会社は、完全な共同体ではないものの、準共同体である。
アメリカ製の経済学は使えない。
日本をアメリカのような、資本主義国にする。
無理です。
ヒトラーは言いました。「自然なものは残る」のです。
だいたい、そこで生きる人間のために社会があるのであって、社会のために人間があるのでは、無いはずです。
人間が企業の利潤追求のためだけの道具である、という状況には、人は長くは耐えられないでしょう。
もう、開き直るしか無い。
日本の会社は準共同体、ほとんど村なのだから、やることは
1、従業員の付き合う人、結婚相手は、必ず、上司、社長が紹介する。
2、必ず、村祭りをする、年中行事は欠かさない。
3、結婚、出産、葬式などには、必ず、会社が関わる、人生の節目、節目の行事に、必ず会社が関わる。
中小企業、個人事業主は、団体を作って、経営者の、お付き合いする相手、結婚相手は、組合長が、必ず紹介する。
で、いいのでは?
日本の株式市場の売買の60〜70%は外国人だそうですが、彼らも、日本の会社の経営にはあまり口を出さないみたいです。
と、いうことは、彼らも、日本の会社が準共同体であり、個別の村であることを感じているのでは?
というか、所有権の絶対、抽象性というもののほうが、特殊な事象なのでは?
日本の従業員は、会社を占有すると同時に、会社を準所有している。
会社とは一つの村単位なのです。
それぞれ、異なった、文化、風土を持っています。
つまり、村が違うと、本人たちの意識では国際結婚に近いものがあり、二の足を踏むことにもなるでしょう。
ですから、会社の上司は従業員のお付き合いする相手、結婚する相手を、必ず紹介しなければなりません。
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