母と歌えば2024①

「そっちでゴチャゴチャ言っても、聞こえないっていってるでしょ?」
母八十八歳。立派に一人暮らしができているが、補聴器のお世話になり始めて、もう十年以上経つ。
ごめんごめん、気をつけるー。
 「私、耳が悪くなってから、あなたに歌を習い始めたんだっけ?」
ううん、そうじゃないよ。私はカルチャースクールの講師で、もともとポピュラーソング講座っていうのをやっていたんだけど、生徒さんが少ないんだーって言ったら、お母さんが
「私が習う。」
って言ったのよ。だけど、コロナ禍で
「歌の教室は終了します。」
ってカルチャースクールに言われてー。それから、毎週お母さんのところに来て、一緒にボイストレーニングをするようになったんだよ。
「そうだったっけー?」
母はまだまだ元気だけど、去年の秋に風邪をひいて、年を越してもまだ治りきっていないようだ。かくいう私も去年のクリスマスイブに鼻水が出始めて、腹筋が割れるんじゃないかと思うほどの咳に苦しみ、病院に行ったが、熱はないので検査はしてもらえず、食欲すらなく、ただただ薬を飲んで、無気力に年末年始を過ごした。話す声は一応出るが、歌おうと思っても普段通りには出ない音がある。いつになったら、治るんだろう?
「でも、私よりはずっと早いわよー。」
まぁねー。
 「あのね、私、『別れのブルース』知ってるはずなのに、歌えないのよー。」先週、母が不意に言い出した。朝ドラの『ブギウギ』で、今、人気の曲だ。そりゃ、そうでしょー。あの歌はなんだか、とても音域が広くて難しいもの。そのうえ、今、母は風が治りかけで、いつもより声が出ないし。
 ちょっと難しいだろうな、とは思ったが、歌詞を用意してみた。私自身もちゃんと歌ったことがないので、少し練習してみた。音域の広さもさることながら、似ているようで違うメロディが混乱しやすく本当に難しい。淡谷のり子ってすごいんだなぁ。
 『ブギウギ』の登場人物のモデルの笠置シヅ子も淡谷のり子も、私は子供の頃、テレビで見たことがある。
笠置さんは『家族そろって歌合戦』のやさしい審査員、淡谷さんはモノマネ番組の怖い審査員だった。淡谷先生は演歌が嫌いで、清水アキラが嫌い。
『北の宿から』がレコード大賞を取った時、
「着てはもらえぬセーターなんか寒さ堪えて編むことないの。いくらでも、いいの売ってるんだから。」
と言っていたのを覚えている。『ブギウギ』の主人公は笠置シヅ子だけど、淡谷先生の人生も何度もドラマ化されているはずだ。アイドルや下手くそな歌手を「歌屋」と呼んでいたけれど、自分の役を演じる人には、いつも優しくて
「あなたは歌屋じゃないわ。」
って言った、と何かの記事で読んだことがある。
 それにしても、私が『別れのブルース』を練習する日がくるなんて、思いもよらなかった。人生、何があるかわからないもんだね。

母の作ってくれた昼ごはん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?