母と歌えば2024⑪

「きのう、病院に行って、たくさん薬をもらって来ましたが、自分としてはたいへんよくなったと思います。」
母のところに行く日の前日のメール。母は去年の秋頃風邪をひいて、年が明けてもそれが完全には治らず、もともと細いのにさらに痩せてしまい、すぐにくたびれてしまうようだ。
「もう、水彩画の教室には行かないことにしようかと思うの。何時間も座って描くの、無理だから。」
何回かそんな話をして、休会している間に世話役だった人から手紙が届き、
「卒業します。」と書いてあったのだそうだ。
「もう、生徒三人しかいないのよー。どうするのかしら?」
ちょっと寂しいかもね。でも、母は行く気にはなれないらしい。
 私は大きなサイズの絵は描ける気がしないが、絵手紙が趣味だ。最近、サボり気味だが、また少しやる気が出て来た。
「今度、一緒に絵手紙を描こうか?」
「嫌だ!あんなもの!大っ嫌いだって知ってるでしょ?」
え?いくらなんでも、それはひどくない?私が描いてプレゼントしても、いつもこんなもの大っ嫌い!って思ってたの?と聞くと母は
「もらうのは好きよ。でも、自分で描けるとは思えないの。私はクローズアップの構図が苦手なのよ。」
へぇー、そうなんだー。私はクローズアップの方が得意だ。もちろん、最初からそうだったわけではなく、絵手紙を書き続けているうちに、なんとなくそう思うようになった。私が描くのは主に花とケーキ、パフェなどのスィーツだ。なんでも描けた方がいいに決まってるけど、誰かにあげようと思って描くことが多いので、そういうものの方が良いかな?と思う。野菜や果物をいただいた時などは、それを描いてお礼に差し上げたりもするが、誕生日や季節のご挨拶なら、花やケーキの方が喜ばれる気がする。
 「描かないと描けなくなっちゃうよ。」
私は息子が見ていたアニメの話をした。高校2年生の男の子が、突然美術に目覚め、芸大受験を目指す話。
「その中にとてもいい言葉が出てきてね、『絵は言葉では伝えられないものが伝えられる。』というの。」
言葉って意外と伝わらない。特に手紙だと。読む側の状況によって、全く別の解釈をされてしまうことも、あるような気がする。
「だけど、誰かのために描く絵だったら、わざわざ悪意なんて込めないでしょ?」
母は一応同意したが、すぐ話題を変えてしまった。母は昔から、面倒臭い話が嫌いなのだ。私が小学生の頃、悩みを相談しようとしたら、耳を指で塞いで、歌を歌い出した。その時は本当に呆れたが、今はその気持ちもわかる。親だからって、なんでも受け止められるわけじゃない。
 「歌の練習、しましょうかねー?」
発声練習として
「あはははは、いひひひひ」
というのをやったら、母は
「疲れた。」
と言う。やっぱりまだ、疲れやすいのかな?歌は『茶つみ』を歌った。
「これ、手遊びがあるよね。せっせっせーのよい、よい、よい、って。」
私は一人でエア手遊びをした。
母も私と同じようにエア手遊びをした。二人いるんだから、手を繋いで手遊びすればいいのにね。やっぱり嫌いなんだね、そういうのも。

野趣溢れるつつじの花
「あれ、アメリカハナミズキよね?」と母。
アメリカかどうかは、知らないなぁ。

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