冬の向日葵(第8話)
「ポムと、おじいちゃん」
*
年が明けて、小学三年生になる前の春休み、ポムは思い立って施設に入所している、おじいちゃんのお見舞いに一人で行くことにした。
今日は土曜日だが、姉の真樹の会社は毎週土曜日が休みというわけではなく、今日の土曜日は出勤日だった。ポムにとっては、三日三晩の眠りから覚める四日目でポムが朝目覚めた時には、もう真樹姉ちゃんの姿はなかった。
そっか、真樹ちゃんは今日は会社だったね。 ポムは、一人でお留守番かあ。
テーブルには、ロールパンが置いてあり、昼の弁当も置いてあった。その他に五百円玉が一つ、置いてあり、コインの下には、
「おはようポム。これ、今日のおやつ代ね」
と書かれたメモがあった。
ありがとう、真樹ちゃん。大事に使うね。
弁当を食べ終えたポムは午後、一人で、おじいちゃんの施設へお見舞いに行くことにした。一人で行くのは初めてだけど、真樹姉ちゃんと何度も行った事があるから大丈夫。
ちょっと遠いけど道はちゃんと覚えている。
踏み切りの前まで来た時、パン屋さんの赤い屋根が見えた。そうだ、おじいちゃん、確かココのあんパンが好きだったよね。ポムはポケットの小銭を確かめてパン屋に入った。
おじいちゃんに小さなあんパンを買い、真樹ちゃんと自分には小さなマフィンを買い、お金はギリギリ五百円で足りた。
*
「おじいちゃん、こんにちは!ポムね、今日は一人で来たんだよ」と、祖父の勇に笑顔で話しかけた。すると祖父は、
「あんた、誰かね?」と尋ねてきた。
「おじいちゃん、すぐ忘れちゃうんだね。ポムだよ、おじいちゃんの孫だよー」
「俊夫は、いつ来るかね?もう、だいぶ会ってないような気がするんじゃが」
おじいちゃんは孫のポムのことを忘れたり、自分の息子が亡くなっていることがわからなくても、息子の名前だけは覚えているようだった。ポムは祖父にパパのことを聞かれて、もうパパとママには一年近く会っていないのだと、いまさらのように思い出した。
「あのね、パパとママは遠いお星様にいるのよ。だから、なかなか会えないんだよねー」と、ポムはパン屋さんの袋から、小さなあんパンを取り出して、「はい、おじいちゃんの大好物だよ」と勇に渡した。祖父は、ベッドから少し体を起こして、あんパンを頬張った。
食べ終わると、また「俊夫は、いつ来るんかね?」とポムに同じことを聞いた。
「わかんない。また来るね、おじいちゃん」
と、ポムは手を振り四人部屋を出た。
おじいちゃんがいる施設は、土日祝日は表玄関は閉め切られている。なので、来た時も帰りも、裏口から出ていかないといけないのだが、ポムが裏口のドアを開けて閉めようとした時、思いがけない強い力で引き止められた。
ポムが驚いて振り向くと、そこには老婦人が立っていた。ポムが戸惑って見つめると、
「待って、ドアを閉めないで!」
と彼女は言った。
老女はドアに手を掛けたまま、
「私だって、ここを出たいのよ」と真剣な眼差しで、そう言った。
「ここを出たら職員さんに怒られるかもよ」と
ポムは言った。前にも、出口で、この人が職員の人から連れ戻されるところを、何度か見かけたことがあるからだ。
ポムの成長の発達には、凸凹なところがあった。両親の死は、ぼんやりとはわかっているものの、真樹姉ちゃんがしてくれた、パパとママはお星様の中に住んでいるという話をどこかでまだ信じていた。
でも、何もかもわからないというわけではなく、これはマズイという場面は他人のことでも、何となくわかるのだった。
このお婆ちゃんが施設を逃げ出したりしたらそれだけで大騒ぎになることくらいは、ポムにも想像出来た。
ポムは何度かドアを閉めようとしたが、お婆ちゃんの力も、なかなか強かった。
ポムはもう一度、力を入れてドアを閉めようとしたが、老女は懇願するように言った。
「私はずっと、ここに閉じ込められているのよ。あなたは、家族と離ればなれになったことはないの?」
彼女の言葉が、ポムの胸をチクリと刺して、
ポムは思わずドアノブを手から放してしまい、老女は素早くドアの間を擦り抜けて行った。
ポムの体を思いきり突き飛ばして。
あのか細い体の、どこにそんな力があるのだろう?老女はスリッパのまま走り出したが、足がもつれて裏門の手前で、ヘナヘナと座り込んでしまった。
そこへ、施設の職員が走ってやって来た。
「尾崎さん、どこへ行くんですか。勝手に外に出たら、ダメじゃないですか!」
女性職員は、尾崎さんの身体を抱き起こそうとしたが、彼女はその手を振り払った。
「放して!私は家に帰りたいだけなの。家族はきっと私のことを心配して探しているわ」
それを聞いた職員は、急にニッコリして、
「わかりました。じゃあ、あとでご家族に、
お迎えに来てもらいましょう」と、言った。
「本当?」
尾崎さんの顔が、パッと輝く。
「ええ、でも、その前におやつを食べましょうね。今日は尾崎さんの好きな桜餅ですよ」
桜餅と「お迎え」の言葉が効いたのか、尾崎さんは職員の人と一緒に、素直に施設の建物の中へ戻っていった。
それを見て、ポムは思った。
施設という場所は家族とは住めないのか。
施設というところは、その人が望まないのに無理やり閉じ込められる場所なのか。
ポムの中で、半年前の記憶が鮮明に蘇る。
ポムがお風呂から上がってきた時に、真樹姉ちゃんが誰かと話していた。
誰と話していたのかは覚えていないけれど、姉は「ポムを児童施設に」という言葉を口にしていた。真樹ちゃんは、私が邪魔だから、施設に入れようとしているの?
ポムはおじいちゃんのお見舞いの帰り道に、ふと、そんなことを思ったが、すぐに首を横に振った。
そんなこと、ホントにあったっけ?
私が、夢を見ていたんじゃないの。
大好きな真樹ちゃんがそんなこと、考えるわけないじゃん。
そう思いながらポムは、なぜかさっきパン屋で買ったチョコマフィンの入った袋を、歩きながら、ブンブン振り回していた。
あ、いけない!
もう少しでマフィンを道に落とすところだったと、ポムはブンブン回していた手を止めた。
もう、忘れよう。
イヤなことは早く忘れよう。
チョコマフィンは真樹姉ちゃんが帰る夕方まで
お預けだな。
だって、ひとりで食べるより、ふたりで食べる方が美味しいに決まっているもの。
ポムはアパートまでの道を、今度は時々、スキップしながら帰って行った。だって、少しでも楽しい方がいいに決まっているもの。
(第9話)へ続く
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