今日は
今日はわたしがLINEを初めて入れた時かな、いや、正確にはお母さんと初めてLINEをした日
その時のわたしは考えられなかった
その一ヶ月後にはお母さんが居ないなんて
お母さんは胃がんだったんだ
1回は治ったけどまた再発してさ
しかもね、お母さんの誕生日に再発したのがわかったんだ
誕生日はとってもめでたくてみんなでお祝いして笑顔になれる日
だけどお母さんの最後の誕生日はめでたくなんてなかった、みんな悲しそうな顔をしてその日の主役は泣いちゃってて
その日からお母さんはつらそうだった
抗がん剤治療で髪の毛が抜けていって綺麗だったお母さんの髪はまた無くなってしまった
わたしもつらかった
前はおとうさんよりもわたしのことを呼ぶ方が多かったのに
もうわたしの名前は呼ばれなかった
わたしはただ無心で学校へ行って帰ってきて繰り返しなだけだった
それから少し経ってお母さんは寝たきりになった
話すことさえもつらそうだった
お母さんが入院することになった
でもお母さんは病院じゃなくて家にいることを選んだ
病院じゃ落ち着かないから、ひとりぼっちだから
それでもわたしは学校へ行かされた
ただでさえもう少ないお母さんとの時間だったのに
その2週間後にお母さんはいなくなってしまった
もう話すこともできないし笑い合うこともできないただ一緒に居ることだけさえももうできなくなってしまった
お母さんがいなくなった日はちょうどわたしが学校を休ませて貰える日だった
休んでお母さんとずーっと一緒に居るって、たくさん話すんだって、わたしは喜んでた
それなのに
もう話すことはできない
その前日はいとこのお姉ちゃんがお母さんと一日中そばに居てお話していた
なんで
わたしは?
みんなの名前を呼ぶ時
お母さんがさいごに呼んだのもいとこの名前だった
わたしはその場を離れた
引き止めてくれると思ったから、
いつもならわたしの名前を呼んで引き止めてくれたから。
でも引き止めてくれなかった
どうせわたしはいらない子
お母さんの1番はいとこのお姉ちゃんなんだ
わたしより、ね
さいごに選ばれたのはわたしじゃない
その事実がつらかった
解釈違いだったとしても解釈一致だとしても
お母さんと一緒に居た年月時間行った場所写真ぜんぶぜんぶいとこの方が多かった
それもつらかった
わたしはさいごのお母さんとの時間を自分から無くしてしまった
引き止めないということはわたしは必要では無いということだと思った
だから戻るのがつらかった
戻りたくても戻れなかった
お母さんがつらかった1週間
わたしの名前は呼ばれなかった
誰からも呼ばれなかった
いまもずっと気にしている
ただそれだけ
おわり
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