『陰獣』著:江戸川乱歩

最近、江戸川乱歩『陰獣』を読みました。

江戸川乱歩は、好きな作家のひとりです。
昔から乱歩の本は手に取っていました。
幼いときの記憶は、意外と人生で重要だったりします。
乱歩の強烈な独特な世界観から、影響を受けたような気もします。
今となれば子供らしさを残すためにも、
もう少しあとに出会っていても良かったかもしれません。
結局読めば同じかもしれませんが!!!

小話はこれくらいにして、
本の感想を書いていきたいと思います。
ネタバレを含みますので、ご注意下さい。

この作品は、ある探偵小説家の回顧と懺悔から始まります。

「偶然にもこの事件に関係したというのが、そもそも間違いであった。
もし私が道徳的にもう少し鈍感であったならば、
私にいくらかでも悪人の素質があったならば、
私はこうまで後悔しなくてもすんだであろう。」

その後悔とは、「小山田氏変死事件」という世の中を騒がした、
富豪の小田が奇怪な状態で死んだ事件に関係があるというのです。

始まりは上野の帝室博物館の古めかしい木彫の菩薩像。
その場で、黄八大のような柄の袷を着た、品のいい丸髷の女(小山田の夫人:静子)と出会い、親睦を深め、その女に相談をされるようになります。
それは、かつての恋人平田一郎(探偵作家:大江春泥)に脅迫されているというのでした。
女と親密になりたいという私情を挟みながらも、解決に力を貸すという内容です。

私は基本的に回顧から始まる物語が好きです。
今更どうにもならないという"やるせなさ”と“未練”と“反省”が刺さるのだと思います。
あと、後悔というのはネガティブな言葉のように思いますが、
なんか真剣に生きている裏返しだと思います。
「あのとき、こうしてれば」という考えは稀有な気がしていますし。

なので、冒頭にやられましたね。
そもそも間違いとまで言い切っていますからね。
結末は後悔が残ることは決定していますが、
どのような内容か実に興味深いなと思い、読み進めていきました。

この本を読んで思ったのが、
「人が手を汚す理由」や「自分で命を絶つ理由」は
本当のところは解読不可能かもしれないということです。

実世界の生活でもそうですが、
何かと原因を探したくなるのが世の中だと思います。
“この原因はこれではないか”
時にその仮説は的を得て、正しいときもあります。
原因を特定することで、次に活きるということもあるでしょう。
しかし、全てが単純明快なことでもなかったりします。

小山田は脅迫文通りに殺されてしまいます。
寒川(語り手)は、色々な情報から、小山田が自らの興の1つとして脅迫文を送り、不慮の事故で死んだと結論付けた。しかし、ある事実から静子が企て主人を手にかけたと気が付いた。
問い立てると、静子は恥と後悔のため、身も動かず、ひとことも物を言わなかった。そして、後日静子は自分で命を絶った。

その知らせを聞くと、寒川は情報を分析し、静子が死んだ理由は本当に僕のことが好きで、恋する人に疑われ、責められたことが自殺を決心させたと考えた。
そして、小山田を殺したことも、財産や自由ではなく、
恋心だったのではないかと思い直すようになり、苦痛に思いふける日々を過ごしているということだった。

死に口なし。
自由になりたいことが動機なのか、寒川と一緒になりたいことが動機なのか、真実は分からない。そして、勝手に死んだ理由に比重をつけることはできない。

あくまでも他者が納得する理由は作れても、
本当のところは本人しか、いや本人にも分からないかもしれない。

それなりのストーリーを書いて、妥当性や崇高性を考えることは難しい気がしました。

最後に、印象に残ったフレーズで終わりたいと思います。
静子は夫から鞭で打たれたり、サディストなことをされていました。
サディストなこと以外にも依存的なものは世の中に沢山あります。
お酒、ギャンブル、タバコなど…
この手のモノは止まる止まらないという話ではないようです。

この種の悪癖は、例えばかモルヒネ中毒のように、一度なじんだら一生止められないばかりでなく、日と共に、恐ろしい勢いでその病勢が昴進していくものです。



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