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小説 フィリピン“日本兵探し” (18)

フィリピン・サマール島のカルバヨグにあるレストラン。そこに、共産ゲリラのジュンは、客であるマリアを招き入れた。
「ここに、その若者はいるのか?」
「アウアウのことですね。すぐに連れてきますよ」
別の男が、奥から小柄な若者を連れてきた。
黄色いヨレヨレのシャツを羽織って、濃いグレーの短パンをはいている。顔には、殴られたような複数の傷があり、左のまぶたは腫れて黒ずんでいた。
最初は、マリアが分からないワライワライ語で、話をしようとしていたが、ジュンにタガログ語で話すよう命じられ覚悟を決めたのか、タガログ語でジュンと未明に渡った無人島について、話を始めた。
「あの島にイリミンタンニオ(洞窟の老人)はいる。その証拠に、洞窟に、並べられた頭蓋骨が100ぐらいあったじゃないか」
「無人島にそんな数の頭蓋骨が葬られているのか?」とマリアがジュンに聞く。
「頭蓋骨は確かにあった。100どころではないかもしれない。違う洞窟にも骨はあったから。あの無人島は、“白骨の島”と言っていい感じだった。島のどこかにその日本兵の生活の場があるのかもしれない」とジュンは島に行った感想をそのまま述べた。
ジュンが右手を拳にして振り上げ、アウアウの頬を1発殴る。
「しかし、あの洞窟に日本兵が住んでいるなら、お前が言っていた大きな箱はなかったじゃないか!」
マリアは考えた。アウアウが島で誰かと会っていたのは間違いなさそうだ。大きな箱も以前はあったのかもしれない。ただ、島にあるという無数の骨は島で戦死した者の遺骨なのか、それとも誰かがそこで弔うために、無人島に集めた骨なのか。戦死、餓死、はたまた別の死因による遺骨の可能性もある。マリア自身、フィリピンに違法なVXガスを持ち込んでいるのだ。54年前に、その無人島で神経ガスの散布の実験を行っていた可能性もあるのではないか。髑髏は現地人で、日本兵のものではないかもしれない。様々な仮説がマリアの脳裏を駆け巡った。
その時だった。「イリミンタンニオは日本兵に間違いないよ」とアウアウが言った。
マリアがすかさず聞く。
「なぜ?」
「タガログ語も英語もしゃべらない。しゃべっていたのは、たぶん日本語だよ。そして先に剣が付いた銃を持っているんだ。たぶん日本の戦時中の銃だよ」
「武装しているのか?」
「うん。でもおじいさんは、撃ったりしたことはない。これを渡されたんだ。怒っている感じだった」
それは古い布に書かれた日本語だった。在日朝鮮人のマリアは驚きの目で、それを見た。
「何て書いてあるの?」
一度深呼吸して、マリアはゆっくりと答えた。
「総員玉砕せよ!戦って死ねという意味だ」
マリアは複雑な気持ちだった。同胞の親や祖父たちも、この非情で無責任な命令をそのまま受け入れ、死んでいったのか。自分が今感じているのは怒りなのか、時代に抗えなかった同胞たちの無念の情なのか。彼女は唇を噛み締めた。

アウアウが語る日本兵の島。そこには、かつて祖国から死を突き付けられた兵士がいる。彼は、バブルが崩壊して10年がたつ日本にとって、都合の悪い存在かもしれない。しかし、「わが共和国には、いい材料なのかもな。日本をたたく上で」
マリアは独りごちた。

サトウキビ畑に囲まれたシュウの家から、マサが電話をかけていた。
「だいたいこれは、あんたたちの仕事ばい。俺らは、日本政府が戦没者の遺骨収集をちゃんとやらんから代わりにやってやっとるだけやが。大使館に10人分ぐらいの遺骨、ご持参していいね?」
「だめですよ!」
電話を受けた宮田は、フィリピン・マニラの日本大使館で、厚生労働行政全般を担当する書記官だ。宮田は、面倒な相手に捕まったと思い、どう納得してもらうか、話しながら悩んでいた。
「このまま日本にお連れしていいなら、私がやるけん。そうするね?」
「それもだめです」
各地に散らばる戦没者の遺骨を日本に帰すべき。遺族たちの気持ちは、宮田にも痛いほど分かっていた。ただ一般人が遺骨を触った時点で、DNA鑑定の証拠能力は著しく下がるなど、本人の特定は難しくなり、専門家以外のそうした行為を認めることはできなかった。また、細菌や化学物質が骨に付着している可能性も否定できない。そうした大使館の方針通りに、熱心な遺骨収集者に接する以外、宮田には選択肢はなかった。
その時だった。電話口の常連マサが思わぬことを口にした。
「宮田さん、次は生きた日本兵ば連れていくき、楽しみにしときない」
「えっ、何ですって?」
ツーッツーッツーッ、もう電話は切れていた。しかし、大変な仕事が舞い込むかもしれないという不安が、その時、宮田の胸に込み上げてきていた。


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