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小説 フィリピン“日本兵探し” (6)

「日本兵に関する情報を持っているアウアウという若者が、ジュンという共産ゲリラと共にいることが分かりました。この後、彼と接触できれば、そのままジャングルに入ろうと思います」。タカシはノブに、衛星携帯電話のテストを兼ねて報告を入れた。

「本当に日本兵はいそうか?」、半信半疑、若手のタカシにいい経験になるだろうと思って、振ったネタでもあった。ただ、拳銃を持った輩がぞろぞろと現れる展開までは、ノブも予想していない。「本物のチャカか?」というノブの質問に対し、「海に向かって撃っているのを見ました。本物です」とタカシは答えた。

ノブは、タカシが出発時に残していった第1報の予定稿を見ながら、サマール島にいた当時の日本軍の部隊が久留米と富山の出身者などで編成されていることを突き止めた。すぐに取材できるよう、ノブは、役所の担当課を調べるなど必要と思われる取材先をリストアップしていた。日本兵の家族や本人の墓などを身元を確認した後、他社より先に取材するためだ。

大体の報告をタカシから受けた後、ノブは「マサさんたちは、元気しとうや?」と、マサや、元小隊長や元兵長という老人たちを気遣った。「マサさんは、日本兵を救出して、日本に連れて帰ることだけを考えています。現地の拳銃を持った輩と目的は違うので、こちらが彼らから発砲されるということはないと思います」と、タカシは希望的見解を述べた。拳銃を持った、サミエルのグループは、警察を名乗るものの、金属探知機まで用意していて、財宝探しを本格的にやるつもりである。おそらく、ここフィリピンで「山下財宝」の伝説が、誰もが注目するような話であるなら、武装したジュンたち共産ゲリラも同じような目的を持っているだろう。

危険を伴う日本兵探しに、元小隊長はともかく、さらに高齢の元兵長がなぜ同行したのか。彼は久留米に住んでいて、マサとは、遺族会などで付き合いがあった。元兵長は、元小隊長より年上で、80歳を過ぎていた。元中隊長ほどの体力はなかったが、これまでもマサと共に遺骨収集に精を出していた。元兵長は日本兵8万人が犠牲となったレイテ戦の生き残りだった。元小隊長は、玉砕戦の時はマラリアでマニアに搬送されていたため、戦争を生き残ったわけだが、元兵長はレイテ島での最後の戦いを生き残り、投降した。神や戦友の魂に生き残るよう道を示されたような男だった。

レイテ島には、頂上に裸岩が剥き出しとなったカンギポット山という、当時、日本兵が「歓喜峰」と呼んでいた山がある。日本軍が最後に集結した場所だ。

山の東側はジャングルで、兵たちは次々に飢えと病に倒れていった。密林の中には、今も日本兵の多くの遺骨が取り残されたままだ。

そうした死にゆく戦友たちの指をいつからか元兵長は遺体から切り取り、巾着袋に入れて持ち歩くようになっていた。彼らを日本に連れて帰ってあげたいという思いからだ。彼は、自分の回りを霊魂が取り巻き、いつも話し掛けられているような感覚を持っていた。あの衝撃的な、戦友たちとの別れが来るまでは。

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