ラマナ・マハルシを広めたい



ラマナマハリシとは

ラマナマハリシとは、若干17歳にして悟りを開いたとされる覚者である。
悟りを開くまで普通の生活をしていたラマナマハリシは、彼の父親が亡くなった時に、死とは何か、私とは何かを探究し、30分ほどで悟りを開いたそうである。それはほとんど自動的に起こり、二度と元の自我が現れることはなかったという。

私の場合

初めてのラマナマハリシは、「あるがまま」にという本だった。もう20年も前になるが、当時ネットでは何かラマナマハリシすごいらしいとの評価だった。私はあるがままにをアマゾンで注文し早速読んでみた。
30分ほどで悟れたというのなら、私がやったらお茶の子さいさい、切符を買うくらいのことだろうと思っていた。
と意気込んでいたはいいのだが、実際読んでみると、一文もわからない。単語すらわからない。「あるがままに」は、本の後ろに専門用語集がある。一文読むのに3回は、用語集と本文を行ったり来たりしなければならなかった。それで、かろうじて単語の意味は分かるのだが、今度は単語と単語のつながりが全くわからない。普通関係の無い言葉が接続語を挟んで並んでいる。この本ではっきりと分かるのは、ラマナマハリシの生涯を解説した章と、接続詞である「てにをは」だけである。
おそらくほとんどの読者はこれほど低い理解力の方はいないと思う。というぐらいわからない。わからないまま最後まで文章を目で追って、そっと本棚に並べた。もちろん、その時に私のところに悟りはやってこなかった。それから5年ほど本棚の一度置いた位置から少しも動かすことがなかった。
それから、真理についてなんとなく探求していた。挫折から5年ほどたったころに「ニサルガダッタマハラジ」を知った。

ニサルタガダッタマハラジとは

ニサルガダッタマハラジとは、ラマナマハルシと並ぶ覚者とされる。彼は師匠の指導のもと、三年で「悟り」に到達したという。それから尋ねてくる人々に「教え」を語ったという。その教えをまとめた、今で言う対談本が「アイアムザット 私は在る」である。350ページほどある辞書のような本である。

私の場合2

「アイアムザット」は分量が多いだけあって丁寧に繰り返し同じことが書かれているため非常に初心者にとってわかりやすい内容の本である。
わからない箇所も多々あるが、わかる箇所もある。嬉しい。
おバカに差した光明である。まぁこの時点では7割方理解できず、わけわからんのだが、ほんの少し理解できたことが嬉しかった。
こんなことを理解でき、さらに自我を超越し、「悟り」を開くなど彼らは天才だ。私もその仲間入りをしたいと強く思ったものである。ニサルガダッタマハラジは三年かかったわけだから、私だったら五年くらいで「悟り」を開けるだろうと、前回からの挫折から懲りもせず強く思った。
「アイアムザット」を3回ほど通読するとなんとなくわかる箇所が増えていった。

覚醒

「アイアムザット」を4回目読んでいた時のことである。それは暑くなる季節の前の5月昼下がりごろだったと思う。100ページほど読んだところで、それは起きた。
思考が意識の底に吸い込まれていくのである。全てが無限の静寂に吸い込まれていくのである。強い嬉しいと言う感情が湧いてきては無限の静寂に吸い込まれていく。どこから来るのかどこへいくのかわからないほど思考は現れては消えていく。静寂は静かでずっと止まっていたい。これが「悟り」か。私は天才だ。三年もたたず「悟り」を開いたぞ。と舞い上がったのも束の間、20分ほどでボーナスタイムは終了してしまった。いくらでも雑念が意識の泥沼から湧き出てきて底知れない。いくら集中しても雑念が湧くばかりで、静寂は戻りはしなかった。
それからと言うもの私はあの刹那に体験した静寂に包まれた世界を熱望している。

さらなる挫折

どんなに努力してもさっぱり静寂はやってこなかった。
今思うに、当時は非常に精神状態が悪く鬱に近い状態だった。辛い状況からの現実逃避が私にとっての「悟り」だったのである。あの時体験した静寂は鬱の隙間から見えた「普通または躁」だったのだと思う。誰もが感じる「普通」が当時の私にとっては「無常の喜び」だったのだろう。

再挑戦ラマナマハリシ

まぁそんなこんなで、もう一度ラマナマハルシ「あるがままに」を手に取った。本棚に放置されてから五年経っていた。
この時、この本の内容を7割ほど理解できるようになっていたことに自分自身驚いたものである。
この時の私は、あの静寂を再び得ようと渇望していた。まだあの時の静寂が鬱の隙間に見えた普通であることにまだ気づいていなかった。ひたすら真我探究に打ち込んだ。真我探究とはラマナ・マハルシが提唱する「悟り」に至る最善の方法である。誰しもがどんなに遠回りしてもだどりつく最後の方法であると言う。誤解を恐れずに説明すると、思考を止めることである。内容はさて置き私は、起きた時から、昼間、晩も関係なく眠りに落ちるまで真我探究に打ち込んだものである。というと一日中365日ひたすら探究に打ち込んでいたような感じがするが、そんなこともない。朝まどろみの中で、真我探究を始める。5分もしないうちにワラワラとドロドロした思考が底のない思考の沼から湧き出してくる。どうしても当時の私は思考の渦を止めることができず、落胆したものである。どんなに努力しても、戦い抜いても頭の中はドロドロでいっぱいだった。私は私の思考が許せなかった。思考を止めるという簡単なことさえ私はできないのである。ネットや本を出版している人たちは数時間から数ヶ月で「悟り」に至ったという。数年も取り組む人は皆無である。何年も真我探究に取り組んでいるやつはポンコツだとでもいいたげである。多くの人々はあっという間に「悟り」に到達した天才たちを求めている。十数年停滞している私には別世界である。ここにいるのはただ、極地を目指してもがき苦しむ哀れな男である。

さらなる覚醒

ラマナマハリシの「あるがままに」を手にとってから十三年あまり経ったころである。私は真我探究を忘れず続けていた。取り立てて素晴らしい成果を得ることもなく相変わらず思考が止まることなく湧き出していた。
私のさらなる?覚醒は、小さい企業に勤め数年がたち、子供ができる前のことである。ある日起きると、思考は湧き上がってくるのに全く気にも止めることもなく、現れては消えていく、目の前を通り過ぎていくだけである。言いようもない幸福に包まれ、起きている時だけでなく、寝ている時でさえ幸福を意識することができた。やっときたのだこれが私の覚醒だ。前回の10分程度の覚醒ではない。3日も4日も続いた。これは間違いない。もはや過去の自我に苛まれる自分ではない。2週間ほど起きている間も寝る間も途切れることなく幸福が続いていた。ついに探究が終わったのだと思った。

消滅

2週間以上経つといつの間にか私の幸福はどこかへ行ってしまった。気づかないうちにどこかに消えて、どうしたら戻るのかわからなかった。幸福を感じている間はどうやってこの幸福を終わらせることができるのか、自分では自由に終わらせることはできなかった。だから2度と無上の幸福が消えることはないと思っていたのに、気づけば無くなっていた。いつ無くなったのか、どうやって無くなったのかさっぱり私にはわからなかった。どこから来たのかわからなければ、どうやってもう一度手に入れたら良いのかもわからなかった。どんなに努力しても戻らなかったのである。そして、子供が無事に生まれ四年ほど経つが、それから至高の幸福がやってきたことはない。いまだに真我探究を懲りもせず続けているし、思考も湧き出てくるが割と真に迫るところまで来ているのではないかとも思っている。それは私の勘違いなのか、それとも真に迫ったものなのか定かではないが、私は私を信じて狭い歩幅で牛よりも亀よりも遅く、進んでいるのか戻っているのかわからぬまま、炎の陽炎のようにふらふらしているのである。

成熟か老いか

至高の幸福が消滅しても、この時は深い絶望はなかった。至福は感じられないが、私は私を信じることができた。放って置いてもいづれ時がくればやがて旅は終わるだろうということがわかるほどには成熟していた。
天才でも秀才でもない私が二十年弱の歳月の中で真我探究の実践を通して学んだことをここに書き留めてみようと思う。なぜかふと、そんな気になったのである。体のすることは私にはわからないのである。

ラマナマハルシを広めたい

前文が長くなったが次回から実践を通して体得したラマナマハリシの教えをまとめていく。ラマナマハリシは一度見たもの、読んだものは忘れなかったそうである。彼の教えも無数の経典からよく引用されている。聖典と縁遠い我々にとっては難しい点が多いと思う。初心者にとってわかりにくい点や、時代文化背景の異なるために分かりにくいことなどを現代に即した形でまとめていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?