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私自身、中学は私立でした。

 その経験から、人生で一番多感な中学高校の6年間、仲間と共に同じ空間・時間を共有することで、独特の連帯感のような意識が生まれると思います。

 それは学校によって個性があり、歴代の先輩によって受け継がれてきた伝統や文化、DNAのようなものといってもいいかもしれません。

 中学入学直後のある出来事が心に刻まれています。

 入学早々、1年生全員が学校行事の応援の練習に駆り出され、グラウンドに並ばされ、その周りを、中1から見ると大人のような高3生にずらりと取り囲まれる中、先輩から厳しく応援の指導をされたという経験から始まりました。

 入学早々、「これはとんでもないところに来てしまった」と思ったものです。

 これがまず新入生全員の共通体験となりました。

 其の後も部活や学校行事、交友関係などを通じて、様々な体験が6年間積み上げられていくことになります。

 最近、たまたま「次郎物語」という小説を読む機会がありました(下村湖人作、青空文庫でネット上公開されています)。

 第二次大戦中から戦後にかけて書かれたもので、士族の家の次男として生まれた主人公、次郎の成長を描いた長編小説です。

 この小説の中で、次郎が旧制中学(今や死語ですが)に入学したときの場面が出てきます。

 始業式の後、次郎を含む新入生全員が5年生(旧制中学の最上級生)の引率によって校庭に連れ出され、そこで5年生から訓示(説教?)を受けた後、「上級生の話を真面目に聞いていない」「生意気だ」「上級生をバカにしている」などとかわるがわる罵声を浴びせられる、というシーンがありました。

 この場面を読んで、「なんだ、うちの学校と全く同じパターンじゃないか」と思いました。

 それもそのはず、実は、私の行っていた私立の学校は、戦前は、旧制中学だったのです。

 仕事上接点のある、10年以上年の離れた同じ学校の後輩と話しをする機会がありましたが、彼の時も全く同じだったそうです。

 その意味で冒頭の話は一種の通過儀礼のようなものだと思います。

 このほか、学校行事や部活動においても上級生が下級生の面倒を見たり、教えたりすることはいろいろな場面でありました。

 私が入学した当時はかなり高齢の教員もおられ(70歳代に見えました。当時、私学には定年はなかったかもしれません)、また教員は学校のOBであることも多く、学校の昔の頃の話をよくしてくれました。

 同じ先生が、異動もなく何十年とその学校で教えているわけですから、世代を超えて同じ話が卒業生の間で共有されることになります。

 歴史の古い私立では、こうした歴史の中で旧制中学以来のDNAが受け継がれているのだと思います。


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