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太陽の騎士 スティーブ・マクマナマン

 曇天のイングランドから、太陽の国と呼ばれるスペインへ。工業都市のリバプールから、欧州屈指の世界都市マドリードへ。未踏の新天地で大きな足跡を残した英国人フットボーラーがいる。
 
 スティーブ・マクマナマン。愛称は“マッカ”。身長188cmと高さはあるが、体型はモデルのような痩身で、手足が長い。主に中盤のサイドでプレーし、武器はドリブル。同時代のドリブラーで有名なのはマンUのライアン・ギグスだが、マッカのドリブルはギグスのように爆発的かつ直線的なものではなく、長い両足で独特のしなやかなリズムとストロークを刻み、敵を翻弄しながらゴールに迫る。スピードに乗ったドリブルで揺れるブロンドの長髪も魅力で、多くの女性ファンを虜にした。さらにクロスカントリーで鍛えたスタミナと、ボレーシュートの巧みさも兼ね備えていた。 
 
 1972年にリバプールで生まれたマッカは、1988年にリバプールのアカデミーに入団し、1990年にプロ契約を結ぶ。テクニカルなドリブルと豊富な運藤量によって頭角を現し、次第にチームの主力に定着。イングランド代表にも召集され、母国開催のEURO1996では中心選手としてチームを牽引した。
 
 1998-99シーズンはリバプールのキャプテンを務めたが、プレミアリーグでは7位に低迷。クラブではスティーブン・ジェラード、代表ではデイビッド・ベッカムらの台頭があり、マッカの存在感が少しずつ希薄になり始めていた。
 
 そして1999-2000シーズン、スペインの名門レアル・マドリードに移籍する。移籍金なしのフリートランスファーであり、ファンの期待は決して高くなかった。実際にサブ的な起用が多かったが、スター集団の中で与えられた役割を真摯にこなし、4シーズンの在籍でリーガとUEFAチャンピオンズリーグの2度ずつの制覇に貢献した。1999-2000シーズンのCL決勝、バレンシア戦でのアクロバティックなボレーシュートを憶えているファンも多いだろう。
 
 当時の監督であったデルボスケは、マッカを「カバレロ」と評した。これはスペイン語で「騎士、戦士」を意味する。太陽の国で勇敢に戦い続けた騎士、マッカの雄姿はマドリードのフットボールファンの心に今も深く刻まれている。その後、ベッカムやオーウェンもマドリードに旅立ったが、マッカのような成功は収めていない。スペインに限らず、マッカは海外で最も成功した英国人フットボーラーと呼べるかもしれない。

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