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3月13日は、サ・ト・ミの日

このゴロに合わせた試みは、これまで多く行われた。
民間主導であり、行政関与はない。
これが房総里見氏を大河にと、平成20年より以前から旗揚げして活動してきた「里見氏大河ドラマ化実行委員会」の現実だった。
その喝入れではないが、房州日日新聞で里見正史の連載を続けていた当時に、勝手に声を挙げて周囲にも理解して頂こうと思った。

この3月13日が、ジャスト土・日でない場合もあるので、ニアピン土日祝日で試みたこともあった。

心強い援護射撃もあった。
ビッグネームで試みたこともあった。

でも、すべて民間主導であって、行政の主導じゃなかった。
令和元年房総半島台風や、新型コロナウィルスの蔓延などもあり、近年は人を呼べる状態ではなく、民間の活動には限界がある。

2022年、ようやく設置。。。

館山市役所はようやく庁舎に「大河」の意思を表明した。しかし、これまでの民間の成果を官が聞き取りし整理して官民の棲み分けをすることはあったのだろうか。積み上げた功績はあった筈。なかったことには出来ない。更に市政と関連するこれからの戦略と方向性の一統に加え「誘致出来た際のその後」に関連する統合的見解を整理したうえで、市長自らが誘致の場に立つべくNHKに赴く機会はあったと思われるのだが……?

ちなみに里見氏最期の地・倉吉では、鳥取県知事自ら応援されているという声を聞いた。この温度差は、でかすぎる。

昨年の、NHKが立て続けに里見を扱った番組を放送したタイミングで、千葉県知事も館山市長も、静観されていたように客観的に感じる。違うのなら嬉しいが、全く表面化されていない。

今年も、この日が来る。夢酔はちょっと関与できず、状況を静観しかしていない。

そもそも、どの時代の、里見の誰をという、大事なことを20年近く経って官も重い腰を挙げながら決まっていないなんて、悲しすぎる現実ですね。
2024年は里見義堯没後450年という節目。
関東戦国史の猛将として、里見義堯をやればいいのにと思う。
NHKBSで「英雄たちの選択」もそれを取り上げたのは、まだ江戸湾の戦国が手垢のついていない新しいジャンルだからだ。
かつて夢酔が里見正史を描いた「春の國(房州日日新聞連載作品)」は平成20年の作品。このとき里見義堯・義弘父子を主人公としたが、その頃は海の戦国が新しすぎて、みんな、信長・秀吉・家康がなければ駄目、という空気だった。
でも、今は見直す空気が強い!

四月には北条水軍が上陸し、妙本寺界隈を拠点に煽動した。暴徒はいよいよ暴れ回った。六月にも北条水軍が押し寄せた。妙本寺住持・日我はこの暴動にあたり、寺域が騒然としたため、六月二六日、金谷城へ避難しなければならなかった。北条水軍の渡海のたびに制札が立てられたが、日我は信用しなかったのである。
このときの戦乱で、妙本寺は夥しい寺宝を焼失した。制札が役に立たなかった何よりの証といえよう。
この房総争乱は、四年間に渡り続いた。よもやこれほどまでに功を奏するとは、さすがの氏康も、思いもしなかっただろう。房総の混乱は、北条氏にとっては格好の好機であった。争乱の間に、久留里城自体は、二度も、北条勢に攻められることとなった。攻めてきたのは、河越夜戦で名を上げた北条綱成である。
久留里攻防戦は、天文二三年(1554)一一月から翌年三月までのことである。
「小癪なものであるが、援軍は期待してはならぬ。いまは各々の城が自力で堪えねばならぬのじゃ」
義堯は自ら城内を叱咤して廻り、兵たちの心が挫けぬよう、心を配った。手薄になりがちな怒田尾根郭には幾度となく赴き
「儂は頼りとしている」
と言葉をかけて廻り励ました。一見脆い南側からの激しい攻撃を、久留里城は持ち堪えたのである。
              (「春の國」より抜粋)
     
※里見正史三部作は長編過ぎて書籍化にして頂けず(´;ω;`)ウゥゥ

2023年のこのときに動かぬ致命傷を回天する秘策を、館山市に期待したい。

館山市HP

韓国ドラマ風平安時代と、べらんめえな江戸時代、合戦のない大河が二年も続けば、人は刺激を欲しがる。

2026年の誘致を、大いに期待したい。