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山吹の君

七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき

これは、『後拾遺和歌集』にある兼明親王の詠んだ歌であり、世間一般では太田道灌の逸話で有名なもの。

ある日、道灌が鷹狩に出かけたところ、急に雨が降ってきました。近くの粗末な小屋で蓑を借りようとしたところ、中から若い娘が出てきて、黙って山吹の花一枝を道灌に差し出します。花を求めたのではないのにと、道灌は娘の真意もわからぬまま怒って立ち去りました。

このことを家臣に話すと、それは、

    七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

という古歌を踏まえたもので、娘は貧乏で道灌様にお貸しする蓑一つもございませんということを、山吹に託してそっと告げたのでございましょう。

と、語りました。
それを聞いた道灌は自らの無学を恥じて、以来、和歌について大いに精進し、立派な歌人になったと伝わりました。

現在「山吹の里」伝説に関する史跡は都内に複数ある。
1.荒川区荒川7-17-2(泊船軒内に史跡)
2.豊島区高田1-10-5(山吹の里公園に由来板)
3.豊島区高田1-18-1(面影橋附近に史跡)
4.新宿区新宿6-21-11(大聖院内に山吹の里伝説の娘の墓)
5.新宿区西新宿2-11(新宿中央公園に太田道灌久遠像)
ただし伝説そのものについて真偽が問われるところであり、ここが、という断定ができません。或いは、逸話そのものも江戸時代に創作された道徳の口上にすぎず、実際にはないエピソードかも知れません。
東京都以外にも「山吹の里」と伝えられる場所があります。我こそは本家、いや元祖と、云いたくなるのも道理な美しい逸話。

写真は新宿中央公園のものです。