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無礼者!

お互いの国で、お互いに不都合なことを隠して、都合のいいことだけで書き換えていくナショナリズムは、自国のなかだけでやっていれば一向に構わぬこと。
わざわざその国に来て、悪戯をして、英雄気取りの民度の低さは、正直なところ特定亜細亜の方々に常なる失望と「またか」という再認識を植え付けてしまう。
2024年8月、得意顔の中国人が落書きをした。
まただよ。
やらかす側にはいつもながら失望と軽蔑しか生まれず、加えて領空侵犯しても惚け、そこにノコノコと大名行列か朝貢かわからん日本の議員が赴いてへりくだる。
こんなことで、まともな対話が成り立つものか。

しかし、こうとも云える。

毎回、悪さをしてやられる警備もどうしたことか、と。

靖国神社の境内地には、江戸の頃に有名な道場があった。

無礼な輩には容赦したらいけないと思う。

何よりも日本人ならば、靖国を胡散臭く考えたらいけない。ある時期の時代の、名もなき人々が戦禍によって大勢命を失った、その記憶を忘れないために存在している場所。
くだらない政治利用や、ばからしい特定亜細亜の偏見や、偏った有識ぶった輩によって辱められたいけない場所なのだ。誰だって、爺さんや曾爺さんの悪口を公共電波でやられたら腹立つだろ。

とりあえず、再発しか起きないんだから、しっかり警備しようよ。多少手荒でも、阻止できればいいじゃないか。

そう思うことを過激と吐き捨てるならば、甘んじて受ける。