心の声を聴く
しばらく書きたいという気持ちにならなかったので久々の投稿になる。
投稿する内容をどうしようかと考えていると色々と思い浮かぶこともあったが、やはり私はこういう啓発的な文章を書くのが好きなようだ。
大変ありきたりな題名を使った。”きく”というのを漢字にするといくつかあるのだが、その中でも”聴く”という漢字を当てた。
聴くというのは辞書で調べると、注意深く(身を入れて)、あるいは進んで耳を傾ける場合に使うらしい。
今日私が伝えたいことをまさに二語で表してくれる素晴らしい単語である。
しばらく私は、少し難しいと感じる古典文学を読んでいた。最近読んだのは、『ペスト』『罪と罰』『夜間飛行』である。
もともとフランスのことが知りたくて、フランス文学を読んでみようと読書初心者の私は意気込んでいた。少しロシア文学に寄り道してしまったが、しばらく古典文学の中へどっぷりと浸かっていた。
そして一昨日、『夜間飛行』を読み終わった。
夜間飛行は短い小説ではあるけれども文章が難しく感じる。正直に頭が痛くなりながら読み進めていた。そんな中読み終わったら次何を読もうか考えるのが私の日常だった。
次に読むのはもちろん古典。
のはずだった。だが夜間飛行に収録されている『南方郵便機』に、目を通したときの文章の読みにくさにアレルギー反応をしてしまった。
もうじりじりと考えながら何度も戻ったりして読むことに体が拒否反応していることに気づいた。
今までの私を振り返ってみると、古典作品を読むことで頭一杯になっていたが、本当に自分が好きで読んでいるのか疑問に思えてきた。
もしかしたら、私は『読みたい』のではなく『読んだ方がいい』の方を選んできたのかもしれない。そういう視点に立てた。
『古典文学は素晴らしい』『勉強になる』『読めること自体がステータス』『読めたらかっこいい』など、古典文学を読むこと自体に何か特別な意味があるかのように思い込んで、自分に課していた。そんな気がする。
つまりは自分が、心から読んでみたいなぁ。楽しそうだな。良いなぁというような感覚を無視して今まで本を選んでいたのだろう。
そう考えられたときに、すぐさまメルカリで自分の読みたい小説を調べて購入した。この行動力は自分の良いところだと自負しているのだけれども、こういう心の声にしたがって行動するというのは自分を満たすことでもあるのだと考えている。
私が友人に『人と比べて自分が劣っている』と漏らした時、『自分が満たされていたら人と比べることなんてなくなる』と言ってくれた。
私は、自分を満たしてあげる行動をしていなかったのかもしれない。気づいていなかったという方が的確かもしれないが、心が望む声を聴くということが『人と比べて苦しむことがなくなる』のならば私は心の声を選んでいくだろう。
生き方を変えるのにはしばらく時間がかかる。ある方が、『なんでもちょっとずつ変えていくのだよ』とアドバイスしてくれたことがあった。
本当にそうだ。あんまり気張らずに、ちょっとずつ『心の声』を聴いていこう。
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