見出し画像

鬱病、イヴ・サンローラン展に行く

立地と建物から放たれる冷たくて洒落た圧力。
「え?六本木のイヴ・サンローラン展に行ったの?鬱病陰キャなのに?」と皆様の裏切りにあった驚きの声が聞こえそうだが、安心してください。鬱病陰キャである。

勿論ファッションのファの字も知らないし、ブランド品を持ってないと人権がないのではないかと思われるほど客層も華やかな中、例のごとく上下GU黒ジャージでフラフラした。「メゾンってなんやねん、フランス政府が保護してるオートクチュールってなんやねん、確かに思わず呟きたくはなるおもろい響きではあるけど」とツッコミを入れつつ、破れた靴下を縫う技能しかない私は職人技の刺繍に目が奪われた。

イヴ・サンローランのファッションは古代や中世のイブニングドレスとかのリバイバルも行っており、そこに当時女性が機能的に動けることを重視したポケットを付けたりすることで新規性を強調していた。その文章を読んで「え?研究と同じやん。巨人の肩に乗りながら時代に則した新規性を付与して次に繋いでいくんやろ?ファッションて研究やん」と思った。科研費(政府から前途有望な研究者が貰える割りと狭き門の研究助成金)を貰ってる人たちはファッションデザイナーやってみたらいい線いくんじゃない?と思った。イヴ・サンローラン展で科研費に想いを馳せたのは、おそらくあの日に限っては私だけだっただろう。

一応構造設計で飯を食ってきたので、何かしらの原案やポンチ絵なら気が狂うほど描いてきたし、相手の図面から意図を汲み取る鍛練は積んできた。なので、他分野とは言えど服のデザイン原画を見て、重心のかけ方が筋肉を見せるようになっているなとか、おそらく人間が縦長の生き物なので水平方向よりも鉛直方向の空間を意識してから図面を書き起こしているなとか、この断面を強調したいのだなとか、ここに作られた余白にコメントが書き込まれるんだろうなとか、この鉛筆を握った人間の気持ちが時と場所と言語を越えて朧気にわかる気がした。役に立たないものなどないのだなぁ。

そして、最後の展示室のビデオで初めて知ったのだが、イヴ・サンローランは戦争で徴兵された時に兵士にいじめられて鬱になって働けなくなってDiorを解雇されたが、それが転機になって自分のブランドを立ち上げたとは驚いた。最近読んだ本にも、紫式部も女房勤めでいじめられて、半年間鬱になったけど、その後に源氏物語を書き上げたと書いてあった。

なーんだ、能力ある奴はやっぱり序盤では目立ちすぎて妬まれていじめられて、みんな病んでから自分なりの生き方ノウハウを会得して、そこから生まれ変わって大成してんじゃんと気楽になった。私もモードの帝王になったり、1000年後にも教科書に載る物語を書けるかもしれんやん。と単細胞な私は華やかなファッションショーの映像を眼球に写しながらぼんやり勇気をもらったのだ。

鬱前の私ならやはり華やかな場を遠慮しがちだった。しかし、社会人として無駄に時間を費やしてきたわけでもないのだから、プロとして日銭を稼いだ経験や知恵を持って共感できる点もあるようだ。もちろんわからないカタカナが登場しすぎて知識不足を感じたが、その場でググれば一緒に文章を眺める人間が持ち合わせる知識は瞬時に得られる。

何事も見た目や偏見で選択肢から外して、可能性を狭めない方がええなと思った。ファッションのファの字は相変わらずわからないが、鬱病だったイヴ・サンローランには親近感が湧いたぞ。ファッションはわからないんですと逃げ腰になるキモいアラサーよりも、なぜかイヴ・サンローランに親近感があるGUジャージアラサーの方が、なんか人生楽しそうだし。

明日も自分に優しくできますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?