元鬱病、有言実行しなくてもいいと思う
古くからの友人が最近博士を取った。帰国すると言うので急いで会う予定を立てた。
ここぞとばかりに「ずっと前から思っていたことを聴かせてほしい。答えにくいと思うし、答えるのに時間をかけてもらってもちろん構わないのだけど、なぜそんなにmotivatedでいられるの?」と尋ねてみた。
友人は優しく笑いながら「私はmotivatedなんかではないよ。祖国が戦争を始めたとき、2週間泣き続けた。博士進学を決断して日本へ出国する2日前まで荷物をまとめられなかった。」
有言実行という言葉がある。友人曰く、博士課程期間中は、有言実行なんてとてもじゃないができなかったらしい。しかし、友人は毎日もがきながら、それでも少しずつ進もうとしていて、気持ちが完璧に整理できてなくても、博士を取得した。
「あなたが心でどれだけ葛藤していても行動では確実に決めるところは決めるのが、motivatedだと思ったのだよ。」そう伝えると「それなら同意できる。確かにgive upしたいと何度も思っても何か方法を探すのが自分の強みだから」と真顔で納得はしていた。
有言実行できるならそれに越したことはない。けれど、そう何でもかんでもうまくいかなくても、中身が伴ってなくても。何か形として残ればいいんではないかと友人の言葉を聞いて思った。中身が薄くても、形にさえ残せば、後から長い時間の中でいくらでも振り返ることができるから。
考えるだけで終わってしまったら、きっと自分の都合よく書き換えられる記憶でずっと美化されて、自己批判もできないだろう。
もがきながら、形に残して博士を取った友人。
もちろん国籍も違えば、主食も違う。主教も違う。言語も違うし年齢も違う。
でも、こんなnoteに綴るしかないような曖昧で、それでいて深めたい思想を話せる君と出会えて、私は幸せだと思う。日本人でもそんな友人にはなかなか巡り会えない。
祖国で簡単にいくわけではないかもしれないけれど、君を応援したい。
明日も自分に優しくできますように。
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